<#10-6>出会いから結婚まで~潜伏期(2)
(潜伏期-続き)
ここでは潜伏期が長引く場合を考察しています。前項では自分の恋愛感情に気づいていない女性の例を挙げました。このような人は、しばしば「恋愛下手」であると自他ともに認めることがあるのですが、奥手の人や弱気の人にも見られることであるかもしれません。
二つの側面がそこにはあると思います。一つは、その人の中で友達感情から恋愛感情へ発展していかないこと、恋愛感情が形成されないという側面があるようです。もう一つの側面は、恋愛感情が形成されても、それが恋愛感情であるということに気づかないし、分からないというものです。
恋愛感情に発展しないのは、その人の中で内面的な停滞があるのではないかと私は推測しています。一つの状態から次の状態へと発展せず、一か所に停滞するようなことが心の中で生じているのではないかと思います。
恋愛感情に気づかないとか分からないというのは、例えば、自分は愛される人間ではないとどこかで信じている人であるかもしれないし、自分自身と接点を持たないために自分の感情を把握することが困難な人であるかもしれません。前述の女性は、私の見立てでは、前者が強いようだけれど、後者もそれなりに見られるように思いました。
(感情の反転)
さて、潜伏期の問題でもう一つ取り上げたいことがあります。それは、潜伏期と交際期とで正反対の感情を相手に抱くようになるというものです。出会ってから最初は相手のことがすごく嫌いだったが、何かの拍子で相手を好きになり、交際を始めたといった例であります。
実は、このような例は掘り下げるとかなり深いところまで述べなければならなくなるかもしれません。ここではあまり深く掘り下げることをせず、表面的な部分だけ述べて終わることになると思います。また、機会があれば別箇所でこのテーマを取り上げたいとも思っています。
ところで、愛と憎しみとはそれほどかけ離れた感情ではありません。かつて愛した人を憎むという現象は古今東西見られるものであり、小説のモチーフになったり、日本の怪談話などでもお馴染みであります。愛も憎しみも、対象に過度にリビドー備給するという構図は同じであり、愛情から憎悪へという移行(その逆の移行も含めて)は思いのほか容易であるかもしれません。
潜伏期では嫌いであった相手のことを愛するようになって交際が始まったという二段階の人もあります。ただ、この嫌いであるという感情は結婚後に再び起きることもあるように思います。
もう一つ問題になるのは、明確な二段階を形成せず、嫌悪感情を引きずりながら恋愛感情を形成させてしまうような例であります。普段は相手のことが嫌いなんだけれど、会うと相手に過度なまでに愛情をそそいでしまうといった人もおられるのであります。こういう人のことをどのように理解したらいいでしょうか。
ある男性は交際女性と縁を切りたいとまで思っていました。詳しい話は控えますが、この女性が彼の生活や人生を踏み荒らすのです。それに耐えかねて彼は何度も彼女を見捨てようとしたのですが、どうしても見捨てることができず、そればかりか彼女と会うと彼女に奉仕(つまり言いなりになるってことだけど)してしまうそうです。彼自身、自分でもどうしてそういうことをしてしまうのか分からないとのことです。
ある人が相手と縁を切りたいのに縁を切れないという時には、その相手との関係で何か心残りがある場合がありますが、その相手がその人の心の深い層に影響を及ぼしている場合もあるでしょう。何よりも、上述の男性を見て分かるように、その人はマゾヒスティックな傾向を多分に有しているのです。破壊傾向を自分に向けてしまうタイプの人であるわけです。このことは彼のその他のエピソードからも伺われることでありました。この女性は彼のその傾向を強く刺激しているようであります。
その傾向に「幼児的万能感」が加わるとさらにひどいことになります。その男性もそうでした。この荒れに荒れている女性を癒し、幸せにできるのは自分だけだと彼は信じているのであります。他の男性たちはことごとくそれに失敗したけれど、自分だけはそれができると信じているわけであります。数年にわたる彼女との関係において、彼が一度もそれに成功したことがないのは火を見るよりも明らかなのですが、彼は自分だけがそれをできるといつまでも信じているのであります。
現実には、この女性の空虚を彼が埋め合わせている形になっているのです。彼は、こう言ってよければ、彼の存在を彼女に搾取させているようなものであります。彼が音楽をやりたいと言ってギターを買うと彼女がそのギターを叩き潰し、スポーツしたいとウエアを購入すると彼女がそれをズタボロにしたりと、彼女といる限り彼は何もできないし、何者にもなれないのであります。彼はその自己喪失(あるいは搾取)を彼女に対する愛情とか奉仕として解釈しているようでありました。
そして、今、彼女は彼に結婚を迫っているというのです。当然、私は「彼女との結婚なんて止めておきなさい」と彼に言うだけなのですが、おそらく、彼には聞き入れてもらえないだろうと思っています。自己破壊的な人にとっては自己破壊的な選択肢が正しいものに映ずることでしょう。
(潜伏期の延長化)
さて、このケースはこれくらいにして、潜伏期が長々と続くということは、二人がハッキリしない関係を続けているということでもあります。交際にまで発展せず、仲良くなったかと思えば離れ離れになり、また仲良くなったかと思えば離れ離れになりといったことを繰り返したりしているのです。結婚するともしないとも決まらないのであります。結婚はおろか、交際にさえも至らず、ズルズルと年月が過ぎていくことになるのです。
こういうことをやってしまっている人は、それを相手の問題と解釈しがちなのでありますが、そうではないのであります。ズルズルと引き込まれてしまうのはその人の問題でもあるのです。従って、その人がいくら相手に働きかけたとて、何も変わらないのであります。
ある女性は10年近く腐れ縁の続いた男性と「決着」をつけるために、しばらく接点のなかったこの男性のところへわざわざ足を運ぶのです。この10年もの間、彼から結婚話が出てはウヤムヤになることもあり、また彼の言動で彼女自身も繰り返し傷ついてきたのでありますが、どうしても彼と決着をつけるために彼に会いに行くというわけです。
私としては、彼とはそのまま自然消滅してくれた方がいいと願うのですが、こういう女性は決して専門家の意見なんて聞き入れないものであります。要は、決着をつけるかどうかではなく、どうして今彼女がその男性と関わろうとしているのかが問題になるわけであります。決着の付け方はいろいろあるでしょうけれど、どうして彼女がその方法を採択したのかということであります。
彼女は相手の煮え切らない態度で結婚を逃した女性でありますが、およそ結婚なんてものを考えていなさそうな男性を選んだのは彼女であります。彼女がいくらそうしようと思っても、おそらく彼女が思い描いているような決着なんかつかないでしょう。そして、今後とも結婚するともしないともハッキリしない関係を続けていくことになるのではないかと私は予想しています。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)