<#016-8>「どこに何が書いてあるか分からない」
<Q>
「HPのどこに何が書いてあるか分からない」、または「調べたいのにどのページを開いていいか分からない」など。
<状況と背景>
私のこのHPに関する内容であります。一般のユーザーさんやクライアントさんから伺うこともありますが、大部分はIT屋から寄こされる質問(批判)であります。
<A>
「そういうものを作っているのだから、放っておいてください」
<補足と説明>
こういう質問(批判)を寄こしてくるIT屋はダメである。もっとも、他の業種のサイトならそれでいいかもしれないのですが。
私もあとどれくらいこの仕事を続けられるか自分でも確信が持てないでいます。それならいっそのこと私の手の内もすべてさらけ出してしまおうかと、最近はいささか自暴自棄的になっています。ここでも私の手の内を曝しておこうと思います。
大切なことは、種々雑多な内容を盛り込んで、ユーザーさんに「どこかにそれがある」と期待させなければならないのであります。どこに何があるかが一目瞭然であってはいけないのであります。ユーザーさんの探しているものが簡単にみつかるようなHPは簡単に捨てられるものだと私は考えています。どこかにそれがあると思わせること、あるいは、この続きがまだありそうだと思わせること、そのようにしなければならないのであります。
簡潔に言えば、ユーザーさんは最初は何か調べたいことがあって入ってきたとしても、こちらはそれをただ提供するのではなく、そこからさらにユーザーさんには「ハシゴ」してもらわなければならないということであります。
そうして複数のページにハシゴしてもらうために、1ページの分量も制限しています。A4用紙にして3枚以内、多くても5枚までと決めているのです。他のページにも飛んで欲しいので、1ページを読むのが負担にならない程度に分量を制限しているわけであります。
そうして他のページにいろいろ入ってもらって、そこで「拾い物」があればいいということであり、できるだけ「拾い物」を充実させたいと私は望んでいるわけであります。だから内容が雑多になるだけでなく、脇道へ脱線したり、余談を挟んだりも平気でやらかすのであります。
そして、ここからが重要なのでありますが、クライアントたちはこのHPを見て現実に来談してくれるのであります。その際に、検索しようと思っていたメインのものよりも、拾い物の方に興味関心が移行するという現象が見られるのであります。
ある人は次のようなことを述べます。最初はある目的のために検索して、該当するページに入ったのだけれど、他にもたくさんのページがあって、そのうちのいくつかが目に留まり、それを読んでみたら興味をそそられて、それでメイン以外のページばかり読んだそうであります。この種の体験をされた方が少なからずおられるのであります。
では、なぜ、メインの方ではなく、その他のページに興味や関心が生まれるのでしょう。端的に言えば、その人の内面に混乱があるからであります。混乱している度合いが大きいほど、自分が本当に何を求めているのか、自分が本当に知りたいことは何なのかが見えなくなるのであります。そういう人がユーザーさんになると思われるので、だからハシゴしてもらわなければならないのであります。
上記のクライアントは、メイン以外のその他のページの方に自分の求めていたものがあったわけであります。本当はそれを求めていたのに、自分でもそれを把握できずにいて、あれこれハシゴしてそれに遭遇したのでありましょう。
また、最初は検索したい事柄があってサイトに入ったものの、興味本位から他のページなども閲覧していくうちに、「この先生はどういう人なのかしら」といった疑問が生まれ、それで現実に会いに来たというクライアントもおられるのです。これって、何なのかということなのですが、この人の中で「関係性」が生まれている(もしくは回復している)ということなのであります。もし、この人がハシゴすることなく、目的のページだけ閲覧して、大したこと書いてないなとか、期待外れだなとか思ったとしたら(それはそれで構わないのですが)、その時点でその人の関係性は生きてこなかったことでしょう。
従って、ハシゴしてもらって、関係性が生まれているということであれば、人によっては、それだけで改善の一歩を踏み出していることになるのです。そういう人が現実に来てくれたとしたら、すでに改善の途上にある人が来てくれることになるので、私としては非常にやりやすいというだけでなく、お互いにとって「労力」が省けることになるのであります。
だから、私のHP内のさまざまなページをハシゴしてくれる人に来てほしいと私は願っています。自分の求めているものがピンポイントで得られないからさっさと見切りをつけるような人は、少なくとも私のカウンセリングには不向きであります。
そのように考えているとは言っても、確かに、ある程度の見やすさとかまとまりとかは必要でしょう。HPとしての体裁も整っていなければならないでしょう。その中で、多少雑多な内容を盛り込めるというのが理想的であります。
種々雑多な内容の最たるものがブログであります。ブログの方は何でもありであって、ほとんど無政府状態と言いますか、無統制状態であります。これは多少困ったものだと自分でも思うのですが、一方で、ブログはそれでもいいかとも思っています。ジャネのいうように、心理学者は「何でも屋」にならなければならないと私も思うのです。あらゆることに人間の心理が関係するからであります。ユーザーさんにとっては不便極まりないかもしれませんが、私にとってブログはそれを実践する場でもあります。
ユーザーさんの求めているものを私が提供するのではなく、私が提供するものからユーザーさんに探させて、拾わせなければならないのです。そうやって自ら拾っていく人が来てくれるといいと思っていますし、そういう人の方が見込みがあると私は思うのであります。こういう考えでやってきたので、IT屋さんよ、もうこの種の問い合わせはしないでいただきたい。
(追記)
見込みがあるとかないとか言うだけではいかにも冷たい印象を与えるかと思うので、少しだけ付け加えておきます。
カウンセリングでもしばしば同様のことが生じるのです。クライアントはカウンセリングを受けることになった問題を訴えます。これは「主訴」に該当する部分であり、その人にとってはメインの関心事であります。
私たちはそのメインのものを取り上げていくことになるのですが、クライアントの話が広がる、あるいはクライアントの連想や視野が広がると、メイン以外のさまざまな事柄が話し合われることになります。
ここからが重要なことなのですが、カウンセリングを受けてもメインのものが改善されないこともけっこうあるのです。その代わり、メイン以外のサブのものが改善することが多いのであります。
なぜ、メインの問題が改善されないのかと言いますと、そのメインの問題に対してのクライアントの期待が大きいなどもあるのですが、問題としてはより重大であるからなかなか改善に至らないという事情もあるわけです。そこは変化しなかったけれど、それ以外のところのもの、メインに対してサブ的なものに改善が見られるわけであります。
おそらく、経験のない人からすれば、そんなの意味がないと思われることだろうと思います。カウンセリングを受けることになったメインのものが改善されないのであれば意味がないと思われる方もいらっしゃるでしょう。そういう人は、サイトで検索する時にも自分の求めているメインのものが得られなければ意味がないと考える人でありましょう。
メインの問題がそのままであろうと、サブの部分での変化がその人を前に推進させるのであります。そのサブの変化が一つの起動点になることもあるのであります。周辺における一つの変化が中心部へ影響することもあるのであります。だから、雑多なHPからメイン以外の「拾い物」をできる人の方が見込みがあると私は思うわけであります。カウンセリングでもそれと同じようなことが生じるからであります。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)