#016-30>「どうして良くなってるって分かるんですか」 

 

<Q> 

 「良くなったって、どこでわかるのですか」「どうして良くなったってわかるのですか」といった種類の問であります。 

 

<状況と背景> 

 あるクライアントの面接の中で、最後に私が「良い方向に向かっていますよ」と伝えたところ、その人から上記のような問いが発せられました。その人は自分では何一つ進展しているようには思えていなかったようですが、私には前に進んでいることが見えていたのです。 

 

<A> 

 クライアントとカウンセラーとでは見ているところが違うので、そのような問いが発せられるのだと思います。クライアントが目を向けていない部分で変化が、カウンセラーの方には見えているということもけっこうあるのであります。 

 

<補足と説明> 

 その時は、時間もなかったので詳しい説明はしませんでした。ただ、ある部分に注目すると、その人の進展具合が見えてくるのです。 

 私は発達的観点を取るようにしています。発達にはコースというか段階があるということが知られています。また、人が改善していく過程にもある程度の段階とかコースが確認されています。同じように、人が悪くなっていく過程にも段階とかコースというものがあるのです。 

 従って、ある部分の段階が2だったところが、3になったとすれば、それは前進を示していることになります。また、2だったものが1に低下した時には、逆行していることが推測できるのです。クライアントのそれぞれに応じた対応をカウンセラーはしていかなければならないのであります。そこは非常に難しいところであります。 

 

 さて、人間の発達という時、全体の発達を捉えることは難しいことであり、そのために各部分の発達が研究されることになります。言語発達、思考発達、性的発達、道徳性の発達、パーソナリティの発達といったように、細分化されてしまうことになるのですが、共通して言えることは、どの方面の発達であれ、そこには段階があるということなのです。 

 段階というのは、一つの段階から次の段階へと移行していくということであり、かならず中間には過渡期のような時期があるのです。段階2にある人の中に、段階3の萌芽がみられるようになれば、その人はまだ段階2のところにありながらも、私たちはその人が前に進んでいるということが理解できるのです。 

 そして、この段階というのは、必ず、それぞれの段階を踏むのです。一足とびに段階を飛ばすというようなことは生じないのが常なのです。 

 従って、その人の発達が促進される時には、必ず、発達図式に従った発展をしていくはずなのです。 

 例えば、言葉を例にしましょう。人が言葉を身に着ける時に、やはり段階があるのです。対象を見る段階。対象に名前があるということを知る段階。喃語を話す段階。一語文を話す段階。具体的な事物を示す段階。抽象的な表現が可能になる段階。などなどを想定することができます。もし、言葉をまったく話せないという大人がいるとして、その人が言語能力を獲得していく過程は、やはり同じ順序で進んで行くのです。対象を認識して、対象に名前があることを知り、言語になりきっていない喃語を話す時期を経て、一語文を話すようになるでしょう。言語は獲得されていき、もう少し複雑な言葉を話すようになるでしょうが、初めは具体的な事物しか述べることができないでしょう。表現能力が伸びてくることによって、より抽象的な事柄の表現が可能になってくでしょう。喃語の段階からここまで一足とびに達成することはなく、たとえ短期間でもその中間段階を経るのです。 

 そうした発達図式が私の中にあると、クライアントと会っていて、一段階進みつつあるというのが見えてくるのです。それに基づいて、「良い方向に向かっている」ということが言えるわけなのです。 

 

 また、人が治っていく過程、改善していく過程にも、ある程度のコースが認められるように私は思います。治療の初期の段階ではこういうことが起きて、中期の段階ではこういう問題が発生して、後期に至るとこのような傾向がみられるといったように、個人差があるとは言え、ある程度共通したプロセスを経ることが多いのであります。そういうプロセスが頭に入っていると、クライアントの変化に気づきやすくなると、私は感じております。少なくとも、クライアントが望ましい方向に進んでいるとか、あまり好ましくない方向に向かっているなとか、そういうことの予測がつくのであります。 

 一つだけ注意しておくと、良くなるとか改善の方向へ向かうとか、ここで言っていることはクライアントの主観的体験とは無関係であります。クライアントが苦しい体験をするようになったとしても、治療的には前進していることもあるのであります。だから、こんなに苦しくなっているのに、良い方向に向かっているなどと臨床家から言われて、反発ないしは疑問に思うクライアントが現れるのも当然であります。 

 そのような時に、クライアントの反発や疑問を軽減するために、感情的正当性を戒めなければならないことになるわけであります。自分の主観的感情体験で事物の正否を判断することを控えなければならなくなるわけであります。 

 

 さて、細かなことは別の機会述べたい思います治癒の過程には、ある程度の段階とかプロセスとかが認められるものであり、そうした流れが分かっていると、クライアントの動きが見えてくるのであります。もちろん、良くなっているというのも、その流れに照らした上で述べているのであって、あくまでも仮定の域を出ないかもしれませんが、それでもそうした流れが一つの指針となることがけっこうあるのであります。 

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

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