<#015-26>S氏3回目面接~解説編(7)
<抜粋>
(39)T:それからSさんは奥さんにドアを蹴ったなと詰め寄ったんですね(S:ええ)。これは実際、奥さんがドアを蹴ったということなんでしょうか。
(40)S:そうなんです。妻は時々そういうことをするんです。ドアを足で蹴って開けるんです。両手がふさがっているわけでもないのに。そういうのが僕はイヤなんです。
(41)T:イヤというのは。
(42)S:怒って、ドアを蹴るとかいうのが。そういう行動といいますか、怒りに任せてやるって感じの行為がイヤなんです。それに、怒っていようといまいと、ドアを蹴るっていうのがどうも許せないというのか。
(43)T:Sさんはそういう行為が許せない気がするんですね。それでは、この時、妻はSさんにとって、もっとも許せない行為をやったということになるのでしょうか。
(44)S:まあ、言ってみればそうですね。
(45)T:それだけにSさんの方でもカッとくるかもしれませんね。
(46)S:実際、イラっときましたね。
(47)T:それで、今、ドアを蹴ったなと妻に迫ったわけですね。Sさんとしては妻がドアを蹴って開けたことが分かっていたにも関わらず。
(48)S:まあ、そうですね。いきなり「ドアを蹴るな」と言ってもよかったのかもしれませんけど、なんて言いますか、妻がドアを蹴る瞬間を実際には見てはいないから。
(49)T:なるほど、音からして妻がドアを蹴ったということは明白なんだけれど、その場面を現実に目撃したわけではないから、そうと決めつけるわけにはいかないんですね。それで、ドアを蹴ったかどうかということを確認する感じになるんですね。
(50)S:そうです。僕としてはそのつもりで問いかけようとしたつもりなんですが、多分、イラっとしていたので、怒って問い詰めた感じになったかもしれません。
<解説>
抜粋部分はS氏を無視する妻に対してS氏がアクトを起こす場面であります。彼は妻に「今、ドアを蹴ったな」と詰め寄るところであります。面接では事実関係を明確にするというところに重点が置かれています。本当に妻がドアを蹴ったのかどうかというところから明確にしています。
(40)で、妻はそういうことを時々するということが述べられています。S氏はそういう行為が「イヤだ」と言いますが、何がどう「イヤ」なのかはあまり具体的ではありません(42)。
(43)では、私はそこを具体化することは避け、視点を少し移行させています。本人が具体的に表現できない事柄は、少なくともカウンセリングの初期の段階では、踏み込まない方が安全であるからです。(45)では、その時のS氏の感情に焦点をあてています。彼にとってはイラっとくる場面であっただろうと思われるからであります。(46)で彼は実際にイラっときたと述べていますが、彼はそれを記憶しているということであり、こういうところから、彼は最初の驚愕の衝撃からは解放されていることが窺われるわけであります。
しかし、イラっときてもどこかでS氏は冷静であったようであります。S氏の言うところのものをそのまま受け取ると、彼はイラっとしているけれど、妻がドアを蹴った瞬間を見ていない以上そうと決めつけるわけにはいかず、先に妻に事実確認をしようということになります。妻のその行為は彼にとってもっとも嫌悪するものであったにも関わらず、彼はこうも冷静であったということになるわけですが、果たして本当でしょうか。(50)で、彼はそのつもりだったけれど、怒った感じになっていたかもしれないと認めています。実際、それが本当のところだったのでしょう。妻がドアを蹴ったことを確認するというのは、多少はその認識もあったかもしれないけれど、後付けでなされた合理化の部分が大きいかもしれないと私は考えています。
ところで、この場面において、彼は3度妻に言葉をかけています。最初は「ドアを蹴ったな」というものでありました。本項で抜粋しているところであります。次は彼を無視することに対して「俺が訊いているんや」と詰め寄っています。最後に出て行こうとする妻に対して「待て」と言っています。
私は思うのです。3つ目の「待て」が最初に来なければならなかったのではないか、と。妻はドアを蹴って入り、冷蔵庫から飲み物を取り出し、そのまま出ていこうとします。そこでS氏が最初のアクトを起こすわけなのですが、妻に対して「待て」と言わず、「ドアを蹴ったな」と言っているところはいささか不自然に思えてくるのです。言い換えれば、状況は次々と展開しているのに、彼の方は最初の一時点に固着してしまい、彼のアクトは目の前の状況よりも遅れをとっているということであります。妻の行為と彼のアクトとの間にタイムラグが感じられるわけであります。
このような一時点の固着であるとか、状況に対して遅れを取るとか、それ自体は人間には多々あることであります。固着してしまうのは、その人の何か(あまり使いたくないけれどコンプレクスなど)に触れてしまっているからであるかもしれないし、遅れを取るのは状況が圧倒してその人の自我が適切に働かなくなったためであるかもしれません。言い換えれば、こういう遅れはその人の心的「不適応」と考えることができるのであります。もし、そうであるとすれば、この問題発生場面において、S氏はその場の適応に失敗していると言えるかもしれません。普段の彼であればそうならないであろうけれど、この場面では彼は状況に適したアクトを取れなくなっていると言えるかもしれません。
そうして一時点の衝撃が彼の中で尾を引いてしまって、それで彼のアクトは状況よりも遅れたものとなったのかもしれません。
いずれにしても、この時点で彼の中には憤りのような感情が生まれていたのであります。(50)で、怒って問い詰めた感じになったかもしれないとS氏は言うのでありますが、実際そうであったことでしょうし、実際にはもっと激しい語調でさえあったかもしれません。彼はすでに感情的にその場に適応できていなかったと私は考えています。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)