<#015-11>2回目面接解説編(2)
S氏の二回目の面接の解説を続けます。
(5)T:なるほど。何が何でも自分たちの望む通りのことをSさんにさせたいっていう感じですね。
(6)S:そうなんですよ。それで、先日、つまり今回の予約を取る前夜のことでしたが、再び妻と口論になり、妻が寺戸先生のことを悪し様に罵るのに耐えられなくて、ついにやってしまったんです。
(7)T:やった、というのは。
(8)S:妻に手を上げてしまったんです。いつもなら「やってしまった」と後悔の気持ちが生まれるのだけれど、その時は不思議となんの感情も湧かなかった。それで、翌日、妻の言いなりになるのが不快で、寺戸先生のところへ予約の電話をかけたのです。
(解説)私の(5)の発言は、妻・義母のやってることを伺っての私の解釈であります。カウンセリングの教科書に従えば、これは良くない応答なのであります。クライアントの視点が妻・義母に移行してしまうからであります。つまり、クライアント中心から外れてしまうわけです。ただ、ここでは彼は妻・義母に対して言いたいことがたくさんあるはずだと思われ、そのおかげで私の拙い対応が問題にならなかったようであります。
さて、いよいよ彼が自らDV場面を話すのであります。妻と口論し、妻が私を罵ったそうで、その瞬間に彼は妻に手を上げてしまったということです(6)。ここはS氏の中で私との間に形成されているラポールや陽性転移を伺わせるのであります。むしろ、理想化転移とか鏡像転移に近いものを私は感じます。つまり、妻が私を罵る時、彼は自分が罵られるような体験をしたのだと私は推測しています。
私のこの推測の根拠が次に語られています。妻に手を上げた彼は、いつもなら後悔の念が生じるのに、この時はそれがなかったのであります。妻に対して何の感情もなかったというわけですが、これはS氏の中では、妻よりも、私のほうに感情的な結びつきを強く体験されていたためであるように思われるのです。S氏のリビドー備給が妻から私の方へ移行してきたということなのでありますが、カウンセリングにおいてはこれは望ましい動きでもあると私は考えています。これにより、妻との関係において、彼は感情的に距離を置くことが可能になってくるからであります。感情的に距離を置けるというのは、相手との関係において感情的に巻き込まれなくなっていくことを達成するのであります。従って、感情的な結びつきが移行し始めているということは、その萌芽が生まれ始めているということになるわけであります。
いずれにしても、彼は妻に手を上げても感情が湧かず、また、妻たちの反対を押し切って私の面接を受けに来ているので、彼の中では私が主要対象となっていることは確かなようであります。
(9)T:そうだったのですね、よくそれができましたね。すごいことです。
(10)S:(涙ぐむ)先生の言う通り、最初に要求をのんだのだから、後はいくらでも要求に従ってもらうっていう感じで、公平じゃなくても意に介さない。
(11)T:不公平すぎるのも腹立たしい。
(12)S:ええ、僕は公平を求めているのに、妻と義母にとってはそれは暴力に等しいものに見えているようだ。
(解説)第三者にとっては私の(9)の発言はDVを正当化しているように聞こえるかもしれません。でも、そうではなく、彼の自己主張を評価しているのであります。そこを分かってもらえたのでS氏が涙ぐむ(10)のだと私は考えています。
彼が求めているのは公平さ、公正さであります(12)。妻たちにはそれが暴力のように見えるようでありますが、ひとまず妻たちのことは置いておきましょう。公平・公正ということが彼にとって重要な意味があるわけです。彼が公平であることに価値を置くのは、その一つの理由として、そこが不公平がまかり通ってしまう環境であるからであると私は思います。いずれにしても、彼は公平とか公正とかいうことを重視し、それに敏感になっているのであります。ただし、なぜ彼がそこまで公平とか公正とかいうことに拘るのかは、この時点ではまだよくわからないのであります。
(13)T:正当な主張であっても暴力になってしまうのですね。
(14)S:僕の要求をのんでくれたことは感謝したいと思っている。だから妻たちの要求にも従ったのに、一度従うと、あとは従うのが当然といった態度で出てくる。前回、先生がその話をしたときには、正直言って、そんなことはないだろうと思っていたけれど、現実は先生の言った通りになりました。なぜ、妻と義母がそうなると先生は分かったのですか。
(15)T:そういう人たちを見ているからですよ。DV問題では「被害者」側が要求がましいところがあったりするのでね。
(16)S:そうなんですか。DV専門の先生はそんなことを教えなかった。寺戸先生の方がよく分かっているように思う。妻というか、むしろ義母の方なんだけど、寺戸先生は加害者の味方をするカウンセラーだと思い込んでいるようです。そうではなく、加害者とか被害者とかの区別をしない先生だと僕が言い返しても、寺戸先生から変な催眠暗示をかけられてそう思い込まされているだけだ、といったことを言う。それでガマンできなくなるんです。
(解説)彼が公平・公正であろうと務めていることが(14)で語られます。ところが妻たちの方が不公平な要求を出してくるということであります。それが私の言った通りになったとS氏には体験されていて、なぜそれが分かるのかと問いかけてきます。この問いかけがここで生じたことの背景を考えてみましょう。
彼は自分の要求をのんでくれたことに対しては妻と義母に感謝していると言います。その上で、こちらも彼女たちの要求をのむ義務があると感じたようであります。彼としてはそこで公平・公正が成立するのでしょう。ところが、妻と義母はそこを崩しにかかってくるかのように彼には体験されるのでしょう。前回の時点では、彼はいくらなんでもそんなことは起こらないだろうと信じていたようです。でも、彼のその信念は裏切られることになってしまうのです。そこはカウンセラーの言うとおりになってしまったということです。さて、ここから次の「なぜそれが分かったのか」という問いとの間には飛躍が感じられるのです。急に話題が転換したような印象を持たれることと思います。彼は、その先を話すことを拒み、視点をカウンセラー(私)に移して、カウンセラーになぜそれが分かったのかということに話をすり替えてしまっているわけであります。
このようなすり替えは、そこに(治療的な意味での)抵抗が生じているからであるということになるのですが、このような抵抗が生じるところにはクライアントにとって非常に苦しい体験が伴っているのが常なのです。
だからということでもあるのですが、この問に対して(15)で私は適度に言葉を濁しています。もし、そこにS氏にとって苦しい体験が伴っていると仮定すれば、それを話題にすることは時期尚早であると思われるので、私はここでは直面化を避けるのであります。もっとも、S氏の場合、私に対する信頼がそれなりに強かったので、ここでそれを取り上げても大丈夫であっただろうとは思うのですが、私としてはそこは慎重に取り上げたいと思うのであります。
ところで、彼の問に対して少しだけ述べておくと、義母と妻の関係性から私は彼女たちは精神分析でいうところの口唇期固着が強い人たちであるという印象を受けています。スプリッティングをやらかしてしまうというのもそうであります。口唇期固着が強い場合、要求がましくなる傾向がみられる(ある意味、貪欲である)ので、そうなるだろうと予測したまでであります。このような解釈をS氏が受け入れるかどうかは確信が持てないところであります。いずれにしても現時点において、妻たちのことに関して、あまり直面化をしない方が良いだろうとも私は思ったのでした。
S氏の(16)の発話で、私が加害者とか被害者とかの区別をしない先生であるというふうにS氏には見えていることが伺われます。言い換えると、彼は私に公平さを見ているということであります。彼はDV専門の先生にはそれを見ることができなかったのでしょう。それはさておくとしても、彼は私が公平に見てくれる人であるように見えています。初回もそうだったのでしょう。妻と義母が文書を読ませるように頼んだ時、それが私から公平さを奪うのではないかと彼が心配になっていたことが伺われてきます。
しかしながら、私のことを加害者・被害者の区別をしない先生だと彼が言った後の義母の反応が面白い。彼がそう思うのは、私による催眠だと義母は言うわけだ。この理屈は、まずその根拠がないということは明白なのだけれど、なによりも人格的に未熟な人の思考、それもけっこう典型的な思考であると私は思うのです。論理的、あるいは理性的に彼の言葉を評価・吟味できないという印象を私は受けるのです。
加えて、義母の中では私が「加害者の味方をするカウンセラー」だということが「決定」されているので、それを変えることはできないでしょう。ちなみに、自分の心的事実に合わせるために、現実の方に無理な説明をこじつけるというのも口唇期固着の表れであり、クラインのいう「妄想-分裂ポジション」のなせる業であるように私には思われてきます。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)