#11-7>キレる配偶者~反省感情の有無(1) 

 

 配偶者、パートナーがキレるといった問題にはさまざまなケースがあり、本節では私なりに整理を試みています。すでにキレるという現象を4つのパターンに分類して見てきました。「例外」「引き下がり」「言語化」「行動化」とそれぞれ呼んでいます。後者の二つは瞬間型としてまとめています。 

 さて、ここでもう一つの次元を付け加えることにします。この次元は私にとっては非常に重要なものでありますので幾分詳細に述べたいと思います。 

 

(キレた後に注目) 

 ある人がキレた時、その後でその人がどうなるかということに私は注目したいのであります。 

 キレた後、例えば、「ちょっとあれはやりすぎだったかもしれない」とか、「あそこまでやるんじゃなかった」とか、「またキレてしまって恥ずかしい」とか、そういった感情が生起するかどうかであります。つまり、罪悪感とか、後悔とか、恥といった感情が当人に生まれるかどうかというところに着目したいのであります。 

 当事者は、キレる側もキレられる側も、キレる場面のことはよく見ているのですが、その前後を見ていないことがけっこうあるのです。キレる前というのは、いわゆる平常の状態からキレる状態までに中間の状態があるかどうかということでありました。キレた後というのは上述のような感情体験をするかどうかということであります。そこはあまり見られていないようで、だからクライアントにはその場面のことをよく観察するようにお願いするのであります。 

 

(反省感情) 

 さて、キレた後に罪悪感とか後悔とか恥といった感情が生まれるということは、その時の自分を省みることによって可能であると思われるので、これを「反省感情」とここでは呼ぶことにしたいと思います。キレた後にその人に反省感情が生まれるかどうかという点が重要であると私は考えているわけであります。 

 端的に言えば、これは反省感情が生まれるか生まれないかのどちらかであります。それぞれのパターンにこの概念が適用されます。つまり、既述の4パターンにこの反省感情の有無が加わるので、8つのパターンになるわけであります。 

 とは言え、「例外」や「引き下がり」のパターンでは反省感情が生まれることが多く、それが生まれないケースはほとんどないのではないかと私は考えております。というのは、普段ならしないことをしてしまったとか、そうならないように務めていたのにそうなってしまったとか、そういう経緯がその人たちにはあるからであります。「例外」のケースではキレた夫が2週間近く落ち込んだのでありますが、この夫には反省感情が生まれているのであります。それが罪悪感なのか後悔なのか恥なのかは分からないとしても、何らかの反省感情が生まれているのであります。それゆえに彼は落ち込んでいるのであります。 

 私の経験するところでは、「言語化」「行動化」などの、いわゆる瞬間型に属する人には反省感情が生まれることが少ないようであります。なぜそうなるのかということを後で考察したいと思います。 

 

(反省感情は改善の動機づけとなる) 

 その前に押さえておきたいことは、こうした反省感情そのものは改善に直接つながるわけではないけれど、改善の動機づけになることが多いのであります。従って、キレる側の人で、自らカウンセリングを受けに来る人は、こうした反省感情に苦悩されているのであります。自分がキレてしまうということが苦しいので、この人たちは自らその改善に乗り出すわけであります。 

 

(反省感情の欠落またはその他の感情) 

 一方で、こういう反省感情の欠落しているというような人もあります。こういう人はカウンセリングに訪れることは少なく、仮に受けに来られたとしてもカウンセリングを苦痛に感じるように私は思います。このことは後に取り上げるとして、何よりも反省感情の欠落により改善の動機づけが低くなるのであります。その代わり、そのパートナーが受けに来られるのであります。キレられる側の人がカウンセリングに来られるのであります。 

 反省感情がまったく見られないという感じの人において、それ以外の感情が生じている 

というケースもあります。実はそこはよく分からないのであります。反省感情が生まれなくても、全く無感情であるということは少ないかもしれません。むしろその他の感情が生起していることが多いのではないかと思うのですが、その感情が何らかの形で表出されない限り確かめることができないのであります。 

 例えば、キレた後に優越感を表明した人もありました。あるお店の店員さんにブチギレして、その店員さんをコテンパンにけなして、その後、「あの店員、めっちゃビビッておった」などと言うのであります。それは優越のような感情ではないかと思うのですが、反省感情ではないことは確かであります。 

 また被害感情のようなものが生起していると思われる人もあります。例えば、「これくらいやっても構わんわ。こっちもこんなことやられたんだから」などと表明する人がおられるのです。キレることは相手への報復であって、相手から被害を受けているのだからその報復は当然だというわけであります。そこには被害感情を見て取ることができるように思うのです。また、後に取り上げるのですが、頻繁にキレるという人は驚くほど被害感情に襲われることが多いのであり、そのことも関係するのかもしれません。 

 その他、キレて相手を攻撃していることに喜悦を感じているのではないかと思われるような人もおられるのであります。 

 いずれにしても、反省感情が欠落している人は、まったく欠落しているか、他の感情が生起していると考えてよさそうに思います。 

 

(反省感情の有無は病理の深さと関係する) 

 さて、反省感情の有無に関して、私はそれを一つの目安にしていることがあります。 

 キレた後、反省感情が見られる人は神経症(適応障害)圏の人にあると私は考えています。キレて、反省感情が欠落しているという人は人格障害やサイコパスにかなり近いと私は考えています。 

 頻繁にキレるある夫には反省感情がまったく生まれていないようでありました。彼は10年近く前に治療を受けた経験があり、その時の診断は「適応障害」であったそうです。医師のその診断が正しいと仮定すると、この夫はこの10年で悪化しているということになるわけでります。かつて適応障害圏であった人が、今は人格障害圏に入っていることを思わせるからであります。10年前よりも何かが彼の中で悪くなっているのであります。彼は10年前のその治療をきちんと続けておくべきだったのであります。主観的な感情判断で一方的に彼が治療を中断したのでありますが、非常に残念なことであります。 

 

 分量の関係で次項に引き継ぐことにしたいのですが、なぜ反省感情が生まれない方が病理が深いのかという点を考察することにします。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

 

 

 

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