<#11-6>キレる配偶者~「行動化」
ある人がキレた時に、言語だけでなく、行動が伴うこともけっこう見られます。殴るとか蹴るとか、壊すとか投げるとか破るとか捨てるとか、さまざまな行動が見られます。このような行動で示すタイプを(D)「行動化」タイプとここでは呼んでいます。
すでに述べたように、言語化タイプでは行動が伴わない、あるいは行動がほとんど見られなくて、ひたすら言語で罵ったり怒鳴ったりするのに対して、行動化では言語と行動の両方が見られるのが常であります。そしてある時には行動化を、ある時には言語化を、その時々の状況によって示すということもあります。前項では、両者の違いは抑止力の違いにあるようだと述べました。
この行動化パターンにもいくつかの下位分類を認めることができるように思います。
まず、(D-1)ひたすらモノに当たるという人たちがいます。この人たちはキレても他者に当たることは少なく、キレるとモノに当たるわけであります。人は攻撃しないけれど、モノは壊すという人で、もっぱらこれをするという人もあります。
キレる人よりもキレられる側の方が立場が上であるとか力が強いとかいう場合には、こういう傾向がよく見られるように思います。
キレて手あたり次第にモノを投げては壊してというような人もあれば、何か特定のものを壊すというような人もありました。その人がそこで何を壊すかに着目すると見えてくるものがある場合もあります。そのモノには象徴的な意味が含まれており、その人にとってはただのモノ以上の意味合いを含んでいることもあるように思います。
続いて、言語化タイプでも登場した区別でありますが、(D―2)家族以外の人に行動化する人たちと(D―3)家族の人に対してのみ行動化する人たちとがあるように思います。実際には両方で見られることが多いのでありますが、どちらかと言えば家族以外に対してのみとか、家族に対しての方が割と多いとか、その程度の違いは認めることができるように思います。
いずれにしても、このタイプの人たちは、内か外かで暴力をふるうということになっているのです。従って、警察沙汰になったというエピソードがよく見られるのであります。
司法の領域で仕事をしているカウンセラーであれば、こういう人と会うことも多いのでしょうけれど、私の場合、あまりこういう人とお会いすることはありません。なぜ、こういう人(行動化する人)と会うことがないかということは次項にて取り上げることにします。むしろ、こういう人のパートナー(キレられる側)とお会いすることの方が多いのであります。
言語化パターンと行動化パターンの大きな違いは、パートナー(キレられる側)の危険度であります。単純な話ですが、行動化パターンではパートナーもけがをするのであります。時に大けがをしてしまうことさえあります。
もう一つ付け加えれば、言語化は逃避することがまだできるのです。キレてわめいている相手から逃げることができるのです。行動化の方は逃げても追いかけてくる(これも行動化であります)ということもあり、パートナーは非常に危険なのであります。
DV被害者に対して「危険を感じたら逃げなさい」と忠告する専門家もいます。私もその忠告をします。ただし、逃げきれない場合もけっこうあると私は思っています。逃げても相手がおいかけてきて、相手につかまり、そこで暴力を振るわれてしまうのであります。そして、何度も逃げては捕まって暴力を振るわれたという経験を重ねていくと、その被害者立場の人は離婚しても相手が追いかけてくると信じてしまうようであります。
私はこういう被害者に対して、相手から逃げるのではなく、相手を捨てなさいと忠告することにしています。「逃げる」はまたそこに戻ることを前提としています。「捨てる」とはそこに戻らないことを前提としています。すると、被害者側の人は相手を捨ててもいいのかと気になさるのですけれど、逆に自分はまだ捨てられていないとでも思っているのかとも私は思ってしまうのであります。
以上、キレる人を「例外」「引き下がり」「言語化」「行動化」という4パターンに整理してきました。当初の予定ではここに番外として「記憶喪失」パターンを含めるつもりでしたが、これは解離のテーマに入っていくので、除外しました。これは、キレる瞬間から後の記憶がなくなるというものであります。
これを除外したのは、記憶の有無が把握できないためでもあります。当人にその時の記憶があるかどうかということはパートナーでさえ確認できないのであります。記憶がないということも、偶然分かるということがあるのです。
ある人はキレて家庭内で大暴れして壁に穴をあけたそうです。翌朝、その人は壁に穴が開いているのにビックリして「誰がこんなことをしたんだ」と怒鳴ったそうであります。ビックリしたのはパートナーの方です。これをきっかけにして、キレた時の記憶が当人に欠落していることが判明したのでした。
このパートナーの方が私のクライアントだったのですが、相手にこういうことをしたの覚えているかとか、こんなことを言ったのを覚えてるかと、(相手の気分がいい時に)質問してもらうようにお願いしました。その結果、相手は、なんとなく覚えているとか、そういえばそういうことを言ったような気がするとか、不明瞭ではありますが、指摘されると記憶が取り出せるようでありました。従って、この人の場合、記憶がなくなっているというのではなく、ある程度の記憶はあるのだけれど、その記憶にコンタクトできないといった状態であることが窺われるのであります。
すでに述べたように、その人にその時の記憶があるかないかということは外部からは把握できないのであります。当人すら分からない場合もあるでしょう。このパターンはここでは除外することにしたのですが、キレるということと記憶が残らないということとは非常に関連が深いようにも私は思っています。機会があればそのあたりのことも今後取り上げてみたいとも思っています。
さて、私たちはまだ分類・整理を続けていくのでありますが、次項からはもう少し違った次元の視点を取り上げることにします。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)