<#11-15>キレる配偶者~予防的アプローチ
(多面的に見ること)
さて、本節では配偶者、パートナーがキレるという問題について考察してきました。最初の<#11-1>から読んでこられた方からは、「一体、何が言いたいねん」とお叱りを受けそうに思うのですが、私なりにいくつかの観点から述べてきました。多面的に考察しようとしているので、まとまりとか一貫性とかが乏しくなったかもしれません。
しかしながら、次の点は押さえておきたいのであります。もし、ある現象に対して多面的に考察することが可能であれば、そこでは多面的なアプローチが可能になるという点であります。一つの面からしか考えることのできない人は、アプローチも一つになってしまうのです。そして、その一つのアプローチが行き詰ると、お手上げになり、どうしようもなくなってしまうのであります。
(予防的観点)
本項では、キレる人に対してどのようなアプローチが可能であるかということについて、私なりの見解を綴りたいと思います。その際に、治療ではなく、予防の方が重要であるという観点を共有しておきたいと思います。
配偶者、特にキレられる側の人は、キレる人の「治療」をいきなり求めてこられるのであります。そうではなく、まずは「予防」を達成することの方が大切であります。
なぜそうなのかと言いますと、まず、このような問題ではキレる本人が来談しないからであります。反省感情の生まれる人は来談される確率が高いのでありますが、問題なのはそうでない人たちであります。キレる側に反省感情の見られない場合、キレられる側が来談されるのであります。キレられる側がキレる人を治療することなんてできないのであります。しかし、キレる人の予防に手を貸すことはできるのであります。
(クライアントの求めているものは予防である)
どれほどキレるという人であっても、四六時中キレているというわけではないのであります。その人はキレていない時間の方が多いのであります。
もし、そうであるなら、平常の状態の時間がより長く続いて、キレる頻度が少なくなってくれるといいと、キレられる側は願うことでしょう。キレたとしても速やかに治まってほしいと願うことでしょう。実は、これがすでに予防的観点なのであります。その観点は治療ではないのであります。
キレられる側はキレる人の治療を求めるのでありますが、その求めているものをよくよく吟味していきますと、求めているものがむしろ予防の範疇に入るということもけっこうあるのであります。従って、予防的アプローチはキレられる側の求めているものとそれほどかけ離れていないと私は思うのです。
(前段階のものにアプローチすること)
では、どこに取り組むのかということですが、私の場合、その人がキレるということそのものには興味がないのであります。そんなところに取り組んでも得るところのものは少ないと考えています。すでに述べたように、キレている時には破綻寸前の状態に陥っているかもしれないので、当人もその時のことを言葉にできないことも多いだろうと思うからであります。その場面のことに関しては話し合えないのであります。
キレるにはその前段階と呼べる部分があります。私たちはそれを人格水準の低下という概念で考えてきました。キレる前に人格水準が低下するということです。言い換えれば、この低下はキレる前の準備段階とも言えるのであります。アプローチはこの段階に対してなされる必要があると私は考えています。
(人格水準の低い時はあまり刺激とならないこと)
この低下が一般的にみられるのは疲労時であります。従って、相手が疲れる前に引き下がればよいということになります。あなたが相手と話し合う場面でも、長々と話し合うよりは、速やかに引き下がった方が安全であるということになります。常に相手に余裕がみられる時にだけ関わるのがいいということになります。相手が多忙な時にはあまり関わらない方がいいということになります。
また、寝起きであるとか就寝前とか、ぼんやりまどろんでいる時なども人格水準が低下しているので、つまり相手がキレやすい状態にあるので、そういう場合にはなるべく当たり障りないかかわりに止めておく方がいいということになります。そういう状態にある時に大きな問題を話し合うのは良くないということになります。
もし、相手がキレたら、あなたはその場を後にした方がいいでしょう。新しい刺激は何であれ脅威をもたらす可能性があるので、つまり破綻を速めてしまうので、あなたが新たな刺激にならないようにその場から離れた方がいいということになります。
それであなたがその場を離れようとして、相手が「逃げるのか」などと挑発してこようものなら、「そうです」とお答えになられればいいのです。相手が余計にキレると心配なさる方もいらっしゃって、それももっともであるのですが、あなたがなんと言おうとその状態にある相手はキレるだろうと私は思います。言ってもキレるだろうし、言わなくてもキレるだろうし、別のことを言ってもキレるだろうと私は思うのであります。相手が落ち着くまで(つまり破綻の脅威が去るまで)、こちらは何もできないのであります。むしろ余計な刺激を与えない方が得策であります。
今述べたことは、実際の精神科の治療でも行われていることであります。パニックや錯乱に陥った患者さんは個室に隔離して落ち着くまで待つのであります。もちろん、鎮静剤を打つとか、そういう対処はできるとしても、基本的に当人が落ち着くまで、刺激をできるだけ与えないようにして、待つのであります。当人が落ち着けば話し合うことができるのであります。
(押さえ込むのが一番いい)
しかしながら、上に述べたことは私の本音ではないのであります。本当は、相手がキレたら、相手を力づくで押さえ込んで、キレるのが治まるまで押さえ込みなさいというのが私の本音であります。
というのは、キレる当人ももはや自分でどうしようもできなくなっているからであります。ここでキレる人には好きなだけ暴れさせたらいい、そうしてすべてを吐き出させればいいと考える人はいささか思考が浅はかであります。つまり、当人は自分をコントロールできないのでありますが、その状態を続けさせた方が当人のためになると考えていることになるわけであります。これは反「治療」的であると私は考えています。
吐き出されるよりかは、抑え込む方がいい。本音はそうであっても、なかなかこれができないのであります。キレる側が屈強であったり、キレられる側が非常に弱々しい感じの人であるという例がけっこうあるからであります。キレる相手よりもさらに強い人でなければできないことなのであります。
夫婦の例ではないけれど、親子の例でそれはあるのです。子供がキレて暴れる、父親がそれを押さえ込みに行くのです。子供は、その時は激しく抵抗し、押さえ込んでくる父親に罵言を浴びせるのですが、後になって、子供が落ち着いてから、子供がそうしてくれた父親をありがたいと思うのであります。つまり、父親がそうしなければ自分は何をしでかしたか分からないという不安が起きるのであります。止めてくれたことを感謝できるようになるわけであります。
理想はキレる人にその体験をしてほしいのであります。発達的観点の項で大人になるほど改善が難しい面もあるということを述べましたが、それは自分を止めてくれる存在がいなくなるためであります。
さて、分量が多くなるので、続きは次項に引き継ぎたいと思います。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)