<#11-12>キレる配偶者~行為と人格の水準(3)
(人格水準)
私たちはキレるという行動・活動が次元としては低いところに属すると考えてきました。でも、このことはその人が常に低次元の行動しかできないとかいう意味ではないということを本項では押さえておきたいと思います。
ここで人格水準(または意識水準)という概念を持ちこむことにします。高次の行動においては、その人の意図や意識、注意集中などが過度に求められるのであります。低次になるほど、それらが求められなくなるのであります。従って、高次元の行動をするときには、その人は高い人格水準を保っていると考えてよさそうであります。
高次元の活動が影を潜め、低次元の活動が前面に出てくるというのは、その人の人格水準が低下していると見ることが可能であります。人格水準の低下が低次元の活動を誘導しているということになるわけであります。
人格水準というのは、なかなか分かりにくい概念であるかもしれません。私たちが意図的に何か行為するときには、意識や注意をそこに向け且つそれを維持し、加えて自分自身を方向づけたり律したりして自分を一定に保とうとします。このような時、その人は人格水準が高い状態にあると言えるわけであります。高い次元の行動を遂行する場合には、高い人格水準が求められるのでありますが、それだけでなく、自分を一定の状態に維持するという側面をも含むのであります。従って、人格水準の低下は、高い次元の行動がとれなくなるというだけでなく、一定の自分を維持することが難しくなっていると考えることができるわけであります。
(人格水準が下がる)
ところで、人格水準は高く保つとしても限界があります。どの人もそれをずっと高いまま維持するということは難しいのであります。
まず、疲労するのであります。疲労してくると人格水準が下がるので、その活動も低次元のものが優位になるのです。疲労すると活動がだらだらしたものになるとかいうことは誰しも経験したことがあると思うのですが、高次元の活動ができなくなってしまうのであります。
その他、人格水準が低下する状態として、寝起きの場面なんかもあります。普段は穏やかな人でも寝起きは不機嫌だということもあるでしょう。私は自分ではそうだと思っているのですが、寝起きは低次元の活動が前面に出てしまうからであると思うのです。
あと、お酒を飲んで酩酊している時などもそうであります。酔っぱらっているときには高次元の活動なんてできない相談であります。人格水準が下がってしまっているからであります。
他にはどんな時があるでしょうか。退屈していて、ぼんやりまどろんでいる時なんかも低下しているかもしれません。そういう時に、高次元の活動、意志や注意を要する活動には速やかに入れないということもあるでしょう。
他にもあるかもしれませんが、疲労時(寝入り前なども含む)、起床時、酩酊時、朦朧(まどろんでいる)時などは人格水準が下がっている状態とみなすことができて、キレる人がキレる時はこういう時が多いという印象を私は受けています。人格水準の低下により、低次元の行動、反射的行動や反応的行動が優位に現れてくるものと考えられるのであります。
ある妻は、キレる夫にそれが該当すると述べました。夫がキレる時はそういう状態の時が多いと彼女は言うのであります。おそらくそうでしょうし、他のキレる人も同じようなものではないかと思います。
(疲労)
上記のうち、一番判断が難しいのは「疲労」であります。その人がどこで疲労し始めるのかはパートナーにも分からないのであります。例えばこんな場面もあります。夫婦が話し合いをしているのでありますが、途中で夫がキレたというのであります。よくよく聞くと二時間くらいぶっ続けで話し合っていたそうであります。私は夫が疲労して、集中を欠き、人格水準が低下して、低次の反射レベルの行動が生じたのではないかとみなしております。二時間の話し合いは、彼女にとってはどうってことないのかもしれないのですが、夫の方には途中から疲労が生まれていたのではないかと思う次第であります。
少しだけ後の話を先取りしておくと、人格水準の低下が反射や反応レベルの低次元の行動を引き出しやすくなるのであれば、人格水準の低下することに取り組む方が重要になるのであります。キレることそのものに取り組むことは、反射や反応レベルの場合、困難であると思うのであります。
(反射・反応次元では低下が速やかに起きている)
疲労ということを述べましたが、これは感情レベルのキレるでも、「引き下がり」パターンのキレるにも見られるものであるかもしれません。明確な区別がつかないようにも私は思うのでありますが、あくまでも私の印象では、反射や反応レベルでキレる人の方が人格水準の低下が速やかに生じるという感じがしています。低次の行動が速やかに現れやすいと感じております。
(反応次元ではモデルが存在していることもある)
さて、反射と反応を一緒にして述べてきましたが、相違もあります。反応レベルでキレるという場合、時に「モデル」が存在していることもあります。条件づけの学習ではなく、モデリング学習で身に着けた反応様式であるというような人もおられるように思います。
そのモデルとなったのは、キレる人の親であります。親がキレる姿を学んでその人も同じようにキレるのであります。ただし、この場合、キレる親から防衛するために学んだという側面があるかもしれないのであります。後に取り上げることができればと思うのですが、キレる人間と同類になることでそのキレる矛先が自分に向かわないようにするという構図であります。
そして、もはやそのキレる人間が目の前にいなくても、その人間と一緒に生活していなくても、そこで学んだことをパートナーとの間で繰り返しているのであります。この人がそうしてキレることは、いわばその人の中で習慣化されているようなものではないかと私は考えています。
いずれにしても、この人は親がそうだったからとしか説明できないのであります。自分がなぜ今キレたのか、やはり説明もできないのであります。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)