<#009-3>本章の輪郭づけ
(本章で取り上げるAC者)
本章(#009)はAC(アダルトチルドレン)に関する内容であります。本項では本章で取り上げる事柄について若干の輪郭づけをしておきたいと思います。
対象となる人たちを「AC者」と呼ぶことにします。この中には「自称AC者」が含まれています。
「自称AC者」とは、自分がACであることを、直接的にであれ間接的にであれ、示す人たちであります。例えば、ACに関する本を読んでいたり、持参したり、私に読むように勧めるといったことをする人たちであります。また、AC理論と遭遇してそれを信奉しているということを表明するといった人もあります。
また、「他称AC者」も含みます。これは子供のことで手を焼いている親から伺うものであります。このAC者とは直接お会いすることはないのですが、親や家族を通して私が接することになった人たちであります。
最後に、ACを信奉していると思われる人たちが含まれます。「隠れAC者」と呼べるような人たちであります。この人たちはACであることを自称するわけではないのですが、その言動からAC者と推測することができるといった人たちであります。
今述べたことには補足説明が必要であるかと思います。まず、同じ信念を有している人はその言動が似てくるという現象を押さえておきたいと思います。これのもっとも分かりやすい例は宗教の信者であります。例えば、キリスト教を信奉している神父はその言動が似てくるのであります。こういう場面でこういう行動をするといった傾向が見て取れるわけであります。同じことは禅僧にも見られることであり、その考え方とか言動がやはり似てくるのであります。信仰を同じくする者どうしは言動が似てくるのであります。
こういう例はけっこう見られるものであります。職業もそうであります。ある職業に就いている人どうしは、やはり考え方とか物の見方とか、言動とかパーソナリティとかが似てくるのであります。公務員の中にはいかにも公務員と思われる人もあり、現場作業員たちにもそれと分かる人たちもおられるわけであります。公務員どうし、並びに現場作業員どうしは似てくるのでありますが、両者は全く異なったタイプであることは容易に見て取れるのであります。
ACにもそれがあると私は思うわけであります。AC者の言動は相互に似てくるのであります。従って、それと類似の言動を示す人にもAC信奉があると仮定してもいいのではないかと思うわけであります。
本章で取り上げる人たち、つまりAC者とは、自称AC者、他称AC者、隠れAC者であるということになります。
(AC者は存在しない)
しかし、そうは言ってもACなる人は本来存在しないのであります。なんとも矛盾したことを言っているように思われるかもしれませんが、私はそう考えています。ACという人間は存在しないのであります。
そうではなく、ACを信奉している人がおられるだけなのであります。従って、AC者とは「AC信奉者」であるということになります。
さて、一番の問題は、その人がACであることではなく、その人がAC信奉から抜け出ることができないというところにあると私は考えています。ACが問題なのではなく、その信奉が問題なのであります。この点については今後取り上げていくことになると思います。
(サンプルの偏り)
これはどの領域のテーマにおいても等しく言えることなのでありますが、私の述べることには偏りがあると思います。それはサンプルの偏りに起因するものであります。
つまり、カウンセラーに私を選ぶ人と選ばない人とではタイプが異なるであろうということであります。AC者においても、私を選んだ人とそうでない人とではタイプが異なると思うわけであります。私は私がお会いしたAC者との体験に基づいて綴るので、AC者の中でも特定のタイプの人だけを取り上げていることになると思います。
サンプルの偏り(と私は表しているのですが)があるために、私が述べることは一般化して言うわけにはいかないものであります。本章を読む人は、そういうものとして読んでほしいと願います。私は特定のタイプのAC者を論じているのであり、そういう観点を読む側も有しておいてほしいと思います。
(問題点)
本章で取り上げるACということですが、いくつかのサブテーマがあります。おそらく雑多に述べていくことになりますので、予めサブテーマに関する情報を有しておいた方が後の記述を読む助けになると思います。
まず、理論の問題があります。AC理論そのものに関する諸問題がここに含まれます。随所でこの領域の問題に触れるかもしれません。
次に、理論がAC者に与える諸影響の問題があります。これは特に重要であります。いずれ詳述するつもりですが、ある人がAC理論に遭遇すると、かなりのインパクトを受けるのか、途端に無力化したり心的に退行したり、あるいは攻撃的になったりするのであります。その理論がその人に速やかに影響するのであります。この現象を取り上げていきたいと思います。
最後にAC者の辿る経緯があります。AC信奉してきた挙句、その人がどうなるのかといった問題がここに含まれてきます。決して誇張するわけではありませんが、AC者の末路は、その人が終生AC信奉し続ける限り、社会的不適格者か廃人に至るのであります。
私は事実そうであると思うのですが、ある人がACを信奉し始めると、その人は人生を棒に振るようになるのであります。私はそう信じています。これまでかろうじてでも生きてこれた人が、AC信奉を始めた途端に生きていけなくなるといったいくつもの例に私は遭遇しております。
ついでに申しておくと、ACに関しては私はかなり辛辣に書くつもりでいます。というのは、AC理論がAC者の心の深層の部分に影響を及ぼしているためであります。表面的なところに働きかけてもAC者には通じない、と私は私の経験上そう考えています。おそらくAC者は読むに耐えないものになることと思いますので、閲覧注意であります。
以上、本項では本章の内容の輪郭づけを試みました。以後の項目を読む際の助けになれば良いと思います。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)