<#008-27>親の態度(1) 

 

(親はいつ気づくか) 

 引きこもり状態にある子には、それ以前に不登校歴がある例が多く、あるいは出社拒否状態の時期がみられることもあります。それは前項で述べました。子に関しては後々述べることにして、親に視点を移すことにしましょう。 

 基本的に、カウンセリングを受けに来る母親は子のことをよく見ているのです。決して子に無関心というわけではないのです。もし、子のことに関心がなければ、その親はカウンセリングを受けに来ないでしょう。 

 クライアントとなる母親は子のことをよく見ていることが多いのですが、それでも問題がかなり表面化してから子のことに気づくことも多いようです。また、父親は父親でそれなりに子供と関わりがあることもあれば、子を見ていることもあるのですが、母親とは関わるところが違い、見ているものが違うことが多いように思います。 

 子が引きこもりの状態になっていって、そこで問題意識を抱く親たちもおられるのです。その時に親の示す態度や姿勢もさまざまあるのです。そうした親たちの態度を述べましょう。 

 

(親の態度) 

 子にひきこもりのような現象が現れています。親は気がかりになってきます。そこで親の取る態度や姿勢にはさまざまなものが見られるのです。恣意的でありますが、分類を試みることにします。 

 

 ①放任・容認する親 

 子が引きこもり状態になっても、それを放任したり、容認したりする親があります。そのうち外に出るようになると、希望的観測で構えていることもあります。時に、その楽観性は無力感の裏返しであるかもしれず、どっしりと構えているように見えても、それは虚構であるといった感じの親もあります。 

 時に、親と子の間で決定的な断絶がある場合もあります。子が引きこもっていても、勝手にしたらいいといった態度であったり、子供のことは知らんとか関わりたくないといった感じの親もあるのです。これらの親の中には、親自身が見たくないと思うものを子が見せつけてくるかのように体験している人もあると思います。だから子を敬遠したがるのでしょう。 

 基本的に、こういう態度を取る親はカウンセリングに訪れることがなく、私もあまりお会いする機会がないので、私も述べることがあまりないのであります。 

 

 ②手をこまねく親 

 これは子の問題を意識しているけれど、それに対してどうしていいか分からないといった態度の親であります。優柔不断であったり、様子を見るといって合理化したり、なんとかしようと思いながら逡巡するような親であります。 

 しばしば親としての自信に欠けている人もあります。子供を理解したくても理解できず、子供の問題が手に余ってしまうといった親も見かけます。 

 時に、子に問題が起きていることで、母親としての自分が責められてしまうと思い込んでいる母親もあります。だから、子の問題を隠しておきたい、表ざたにしたくないなどと願う母親もいます。人知れず子の問題をなんとかしようとして、子に圧力をかけたり、自ら治療者になろうとしたりする母親もおられるのです。 

 しかし、こういう親たちの気持ちも理解できるのではありますが、結果的に、専門的な援助を受けることが先送りになり、子の引きこもり状態が長引いてしまうことにつながるようです。この親たちがカウンセリングを受けにくるのは、けっこう切羽詰まった状態になってからであることが多いように思うのです。 

 カウンセリングを受けにきても、そこが処罰の場のように経験されることもあるようで、そのため長く続けられないといった人もおられるように思います。一般的に、子の問題に母親の子育てが関係するように言われます。確かに一部分だけ見ればそれは正しいと言えるのでありますが、子の問題の原因を母親一個人に帰属させるような理論は間違っているのです。それはあまりにも単純化しすぎた理論であるのです。問題は複合的であり、問題が形成されるまで長い歴史があり、単一の原因に帰属することは不可能であります。 

 この親たちは、自分が子供の問題の原因とみなされてしまうこと、この問題のための援助を処罰のように経験してしまうこと、そういう恐れがあり、カウンセリングはその恐れが現実になる場のように感じられることでしょう。従ってそのカウンセリング自分が処罰されるか否か、自分の責が問われるか否かが親の心を占めてしまい、なかなかカウンセリングの経験が自分のものになっていかないといった例に遭遇することも私にはあります。 

 

 ③子に治療を受けさせようとする親 

 引きこもりのような状態になった子に治療を受けさせようとする親たちもいます。私は親にはその権利があると考えています。子の生活を見ており、扶養しているからであります。だから子の具合が悪くなったら、親は子を病院に連れていくということもできるわけであります。 

 子に治療を受けさせようとする親たちにはさらに二つのタイプがあると私は感じております。 

 一つは親自身は子の問題の外にいたがるタイプであります。この親たちはカウンセリングを勧めてみても、「問題があるのは子供であって、私ではない」といった反応を示すのです。あくまでも問題があり、治療が必要なのは子であるという姿勢を頑なに崩さない感じの親であります。それが母親である例もあるのですが、父親がこういう姿勢を示すことが多いという印象を私は受けています。 

 それが子の問題でなければならない理由はなんなのだろうと疑問に思うこともあります。中には子育ての失敗と評価され、責を問われることを恐れる母親もあるのかもしれません。あるいは、子の問題が母親自身の何かを刺激してしまっているためであるかもしれません。やはり、私がお会いすることがないのでなんとも分からないのです。 

 もう一つのタイプは、子に治療を受けさせようと懸命になっている一方で、自分も受けた方がいいのではないかと思う親であります。自分がその問題の一旦を担っていると感じているのかもしれません。そういう親はカウンセリングを勧めてみると躊躇されるのです。カウンセリングを受けることに対して、それなりの必要性は認めているものの、積極的ではなく、できれば回避したい気持ちも強いようであります。このタイプは、父親よりも、母親に見られることが多いようです。しかし、このタイプの母親は後にカウンセリングを受けに来ることもあります。 

 いずれにしても、子に受けさせようとする場合、子にとってはその治療は親のためという意味合いが濃くなるかもしれません。特に子が治療を望んでいない場合はそうであります。親に逆らえないという感じの子の場合、渋々治療の場に足を運び、表面上は治療を受けているけれど、あまり治療には身が入らない感じになることもあるようです。だから治療は進展せず、そのことが親の焦慮をもたらし、親はさらに熱心に治療を受けさせようとしたり、一方的に治療者を交換したりといったことをするのかもしれません。 

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

 

 

 

 

 

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