<#008-15>「謝罪する」という誤り
母親の中には、過去に子供との間で経験した過ちをくよくよ反省してしまう人もあります。あの時ああしていればよかったとか、あんなことを言わなければよかったということを反省するのです。(注:本項で取り上げているのは、母親が現実に子供に対して落ち度があったり、良くないことをしてしまったといった例に限定したいと思います。罪悪感の問題はここでは除外して述べています)
これは正確に言えば反省ではなく、後悔なのです。母親はただ過去のいくつかの場面に関して後悔し続けているだけなのです。こうした後悔は子供には何の益もないのです。
時に、母親はそうした後悔の念から子供に謝罪をするのです。子供にあの時のことを詫びるのです。母親がこの行為をした時、私は母親をちょっと叱るのです。
大抵の場合、母親が謝罪するのは、今すぐ自分が子供から許されるためであり、それは純粋に母親自身のためだけになされる行為であると私は考えています。母親が謝罪したくなった時、それは母親がこの問題から手を引きたくなっている時であり、今までのことを帳消しにしたくなっているのだと思います。
謝罪される側の子供にはそれがどのような体験となってしまうか、この母親たちは考えたでしょうか。母親のその罪悪感は子供の罪悪感を高めることになるかもしれません。と言うのは、過去の母親のその過ちに子供自身が関係しているからであります。
母親が謝罪して子供が改善した例など私は聞いたことがありません。子供は、母親の罪悪感をさらに高めてしまうのではないかと恐れるようになるかもしれませんし、母親を当てにできないと思うようになるかもしれません。
もし、母親が子供に謝罪したいのであれば、それは母親の人生最後の時にすべきです。それまで内に秘めておいて構わないことなのです。少なくとも、親子がこの状況を抜け出てからで構わないのです。子供が改善して、今よりもずっと成熟して、そうして初めて子供は親の謝罪を受け入れることができるのです。
(反省と後悔)
ところで、私たちは本当に「反省」ということを分かっているでしょうか。ただ「後悔」していることを「反省」していることだと信じている人も多いように思います。「自分は悪いことをした」と悔やむのは「反省」ではなく、「後悔」であります。
本当の「反省」とははそこから「正しい道を踏み出す」ことなのです。必要なのは「謝罪」ではなく、そうした「真の反省」なのです。従って、「真の反省」とは「改心」に近いものなのです。
もし、母親が過去の過ちに対して申し訳ない気持ちを持つのであれば、子供にそれを謝罪することではなく、正しい道に踏み出すことが母親に求められているのです。
先ほど、母親が子供に謝罪する時は母親が今すぐ許されることを期待しているということを述べました。私が厳しいことを言ったように思われたかもしれませんが、その根拠がここにあるわけです。
本当の反省は、(この場合)子供が許してくれるかどうかには関係がないのです。子供が許さなくとも、母親が正しい道に踏み出す、改心するというのが、本当の反省になると私は考えているからであります。従って、子供には母親の改心が見えなくてもいいし、伝わらなくても構わないのであります。
(謝罪を強要される)
一方、その反対の場面もあります。つまり、親に「謝れ」と子供が要求するような場面です。ここでも子供の要求に盲従して謝罪してしまう母親がおられるのです。私は望ましくないことだと考えています。
子供から「謝れ」と要求されたから謝るというのは、子供とのかかわりを回避する行為であると私は考えています。換言すれば、「手っ取り早く、子供の要求をのんで、これにケリをつけよう」ということなのではないかと思います。相手の言いなりになるとは、手っ取り早く相手を厄介払いすることでもあるのです。
考えなければならないのは、親に「謝れ」と要求することで、子供は何をしているのか、子供に何が起きているのかということなのです。
子供は過去の何か受け入れがたい記憶に触れているのだと私は思います。その忌まわしい記憶に対して、子供は無力なのです。親に謝罪させるのは、それが自分では処理できないからではないでしょうか。従って、子供がその記憶に対してどうにも対処できないでいる限り、親が謝罪したところで何も変わらないのです。自分では対処できないので、親に手助けしてもらっているようなものですが、かなり見込みの薄い方策なのです。
そうして親が謝罪した後、子供にどういうことが起きるだろうか、それも考えなければならないのです。子供が想起している場面では、親が「悪者」になっているのです。子供はそれで苦しんでいるのです。それに対して親が謝罪して、果たして子供は救われるでしょうか。
むしろ、この程度の謝罪であの経験を水に流せというのか、それなら今まであの体験で苦しんできたことは何だったのかと、子供は更なる苦悩に陥ることになるかもしれません。この時、子供は苦しんできた歴史と母親の双方を喪失することになるのです。親を許せない気持ちをさらに高めてしまうかもしれないのです。
もし、子供から「謝れ」と強要された場合は、子供がどの体験のことを言っているのかを明確にした方がいいと私は考えています。いつ、どこで、母親のどの言動のことを子供が言っているのかを明確化してみることです。案外、子供はこれができないかもしれませんし、大雑把にしか表明できないかもしれません。
次に、ある場面が特定できた場合は、その場面で子供がどういうことを経験したのかを聞いていくといいでしょう。
次が重要なのですが、子供のその体験に対して、謝るのではなく、共感を示す方がずっといいと私は考えます。「そう、そんなふうに感じたの、それは辛かったね」とか「そんなふうに受け取ったのね、それなら自分が見放されたって感じるのも分かるわ」などと、共感を示すようなことを言えるといいと思います。
これはどういうことかと言いますと、上下関係をある程度横並びの関係(多少の上下はあるとしても)に変えた方がいいということです。子供は親から何らかの力の行使を受けた(上下関係であります)、そのことを今ここで謝れ(これも上下関係ですが、上下が逆転しています)と訴え、親が謝る(上下関係を成立させてしまう)という、この上下に並んでしまう関係を変えることを試みるということであります。
今のことは、言葉で言うのは簡単なのですが、実際にやるとなるとなかなか難しいことであります。そこは私もまた親と一緒に考えていくのであります。
(どんな親が見たいか)
もう一つ、最後に考えて欲しいのは、子供はどういう親の姿を見たいと望んでいるかということです。罪悪感に苛まれて、過去のことを逐一謝罪する親を子供は見たいと望んでいるでしょうか。
私も子供の頃から母親の謝罪の言葉を聞いて育っています。毎回、苦しい思いをしたものでした。謝罪されるたびに、私は自分がとてつもなく悪い人間であるような気分に襲われたものでした。他の子供はどうか知りませんが、謝ってくれる母親よりも、私と一緒にいて幸せそうな母親を見たかったと私は今でも思うのであります。
もう一度、そういう観点から親子関係を考えてみるのも悪くないことではないかと私は思います。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)