<#008-4>傍観者ではいられない
(私たち全員のテーマである)
前項では私の個人的体験を綴らせてもらいましたが、ここで閑話休題、母親カウンセリングに話を戻しましょう。
私たちは誰もが親の子供でした、どの子供も、今後、父親や母親になる可能性を有しています。ここに登場する母親たちはあなたの母親であったかもしれません。それは将来のあなたであるかもしれませんし、あなたの配偶者であるかもしれません。本章に登場する母親たちが置かれている状況は、私たち全員が直面するかもしれない状況でもあるのです。決して一部の母親だけのことではないのです。
また、子供たちの「問題」も然りです。この子供は私であったかもしれませんし、あなたであったかもしれません。この子供たちは、私やあなたとまったく無関係ではないのです。この子供たちは私の代わりに生きてくれているのかもしれません。
子どものことで親がカウンセリングを受けるというこの問題に関して、無関心でいることも、部外者や傍観者の立場をとることも、私たちには許されていないのです。次のような例もあります。
これはある団体に所属する人から伺った話です。ある男性は若いころから引きこもるようになりました。社会に参加することなく生きてきました。不幸にも、両親は彼を残して他界しました。親はこの子のためにと財産を残しておいたのですが、この子はその遺産をただ食い潰しただけでした。今では生活保護を受けながら、自己の改善を試みることなく、ただ生きているという状態でした。社会を構成する私たちは、私たち全員でこの人を抱えなければならないのです。こうした観点からも、この男性の問題は、彼個人の問題であると同時に私たち全員に関係する問題でもあると言えるわけです。
本章で取り上げるテーマは私たち一人一人に関係するものなのです。決して他人事ではないのです。私たち全員の問題でもあるのです。ぜひともこの観点を共有してもらいたいと私は願います。
(母親の原因であるかどうか誰も分からない)
どうしてそのようなことを申し上げるのかと言いますと、子供に何か問題となることが見られた際に、母親に責が向けられる傾向があるからです。時には、その母親の子供が自分の問題を母親に帰属させることもありますし、父親もまた母親にそれを押し付けるというような例もあります。一人に原因を帰属させて、それでよしとする態度、それで問題ははっきりしたなどといった態度をとるといった人もおられるのであります。
つまり、子供も父親も、あるいは周囲の人や専門家でさえ、自分たちは傍観者の立場に留まるということなのです。原因を一人に帰属させて、あとは傍観者のようになるのであります。母親たちも責任を感じて、無抵抗にこれを引き受けてしまっていることもあります。そして、母親の方もこれは子供の問題であるとして、傍観者の立場に回ろうととされることもあるのであります。これが正しい状況であるとは私には思えないのです。
子供に何か問題が生じる、その原因が純粋に母親だけにあるのかどうか、本当は誰も分からないのであります。現実は個人に生じる問題はさまざまな要因が絡み合っているものであります。母親はその要因の一つであるかもしれませんが、決して母親だけが子供の原因とは言えないと私は考えています。
(傍観者ではいられない)
私の言うことが厳しいと感じられるのではないかと私は危惧するのですが、このことがとても大事なことなのです。いずれ事例などを通して見ていこうと思うのですが、親が子供並びに家族に背を向けなくなると、何かが家族内で動いていくのです。親が傍観者の立場を放棄するだけでも親子間に何かの違いが生まれるのです。
傍観者の立場とは、例えば、それは子供の問題なので自分は関係がないとか、自分がカウンセリングを受けても意味がないと考える親であります。子供をカウンセリングに送り込めばそれで自分の役目は終わったと考える親であります。子供に問題が生じた、でも自分は悪くないと自分の罪責ばかりを気に病んで、子供を手放す親であります。余談ですが、前項のF先生の思想はこういう立場に立つものであります。
一部の親たちはあくまでも傍観者の立場に留まるのです。手っ取り早く処理して、子供の問題を丸投げしたいなどと願うのであります。私はそれを引き受けません。そして、そういう親たちはさっさと私に見切りをつけて、他所へ行かれるのです。それで結構であります。その人たちとの経験は本章では取り上げられることはないでしょう。
傍観者の立場を放棄した親たちとの経験に基づいて、本章は記述されています。本章は「親カウンセリング」というタイトルですが、この「親」はさらに限定されるわけです。母親であり、そのうちの傍観者の立場を放棄した母親たちであります。
従って、私は一部の親たちのことについて述べることができるのであって、あらゆる親に該当するような内容にはならないでしょう。
傍観者立場を維持される親たちのことに関しては、私は述べることがありません。その人たちから経験できることがほとんどないからであります。
(カウンセリングを受ける親たち)
カウンセリングに訪れる親たちの大部分は親として立派に子育てをしてきているのです。そこは間違えてはいけない部分なのです。本当に親として失格である親は子供のことでカウンセリングに訪れるはずがないのであります。子供のことなどどうでもいいと思っていたりするからであります。
だから、子供の問題は親に原因があるなどといった短絡的で未熟な思考をするつもりは私にはありません。こういう思考はむしろ未熟な子供に支持されるものなのです。悪者探しや原因探しは傍観者の立場の人間がするものであると私は考えています。主体的にその問題に取り組む人はそのような思考をしないものであると私は考えています。
ただ、親も人間なので、知らず知らずのうちに間違いをしてしまったり、その時々の状況に影響されてしまったりするのです。お互いの間で起きていることを見落としてしまったり、経験したことのない場面に直面して適切な行動が取れなかったりするのです。要するに、人間であればやってしまうような失敗をしてしまうのですが、それは親に「問題がある」ということを明証しているわけではないのです。
親に罪を問うのではなくて、うっかりとやってしまうミスがあるのならそれには気づいていきましょうという提案を私はしたいのです。以後、そうした親たちのミス(と言っていいのかどうか)が取り上げられることになるでしょう。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)