<#008-3>私のある体験より
親カウンセリングの話を進める前に、ここで私の個人的体験を綴ることをお許しいただきたいと思います。この体験は、読む人にとってはどうでもいいこでありますが、私個人にとってはとても重要なことなので、この場を借りて綴りたいと思います。興味のない人は読み飛ばしていただいて結構であります。
私は若いころにクリニックに在籍していたことがあります。
そこにF先生という女の臨床家がいたのです。正直に言って、私はF先生が嫌いなのでありますが、F先生との間でこういうことがありました。
ある時、クリニックに問い合わせの電話があり、私が受けたのでありますが、それは母親からで、子供のことで困っているということでした。子供に面接を受けることはできないかと私は母親に頼むのです。母親はやってみるけれど、難しいだろうという返事をします。そして、子供が来れない場合、母親だけでも受けてみてはどうかということを私は勧めたのであります。それで予約を取られたのですが、あいにく、その時間はF先生しか空いていないので、渋々、F先生のところにその母親の予約を入れたのでした。
ちなみに、上記の応答は私個人の考えではなかったことを明記しておきます。F先生が本人が来なければ意味がないという考え方をしておられたので、それに従ったまでであります。ただ、子供を連れてくるのは難しいだろうと母親が言った時に、その場合はどうするか先生と相談するのでまたお電話くださいませんかなどと私も言った方が良かったとは思います。少し私の独断もあったことは反省するところであります。
その電話の件をF先生には伝えておきます。母親からの電話で、子供を連れてくるように試みるけれど、無理なら母親だけが来るだろうということを伝えます。その時はそれで終わったのでした。
さて、予約当日、クリニックには母親が一人で来ました。それを見てF先生は「子供さんは?」と尋ねるのです。母親は「子供は受けないと言って」と弁明されます。F先生はムッとされたようで、「本人が来なければ意味がない!」と言い切ったのであります。母親は困って、こちらの方が(と私を指して)「母親だけでも受けたらと勧めたから」ということを言います。F先生は私を見下して(というのは、F先生が立っていて、私が椅子に座っていたからなのですが)、「この人は素人だから」と言い放ったのであります。この場に険悪なムードが充満していくのですが、F先生は仕方がないというように、母親を面接室に招いたのでした。
そのカウンセリングの模様を、実は私は壁に耳をつけて盗み聴きしていたのですが、もっぱらF先生の話で終わったようでした。
面接が終わって、母親が恨みがましい一瞥を私にくれたように記憶しています。この母親はどんな思いでお帰りになられたことだろう。不愉快な思いをさせてしまったのだろう。そう思うと私もいたたまれなくなるのであります。
後日、当時私のカウンセラーであったH先生にこの一抹を話すと、これはF先生の方がおかしいということで私と意見が一致しました。親のカウンセリングをするということはどこでも普通に行われていることであるのに、それを認めないのはおかしいというご意見でした。私が間違っていたわけではないということが証明された気がして、それはそれで私の気も晴れるのでありますが、あの母親に対しては悪いことをした気持ちは払拭されずに残り続けることになったのであります。
本音を言えば、F先生にもそういう気持ちを味わってくれと思うのですが、もうそれはどうでもいいことであります。F先生は、今だから言うのでありますが、派手にスプリッティングをやらかす人で、問題のある人と無い人とをハッキリ分けるところがあったように思います。「困っているか困っていないか」という観点が欠落していたように思うのであります。このケースでは、明らかに困っているのは母親であったはずだと思うのであります。子供は、問題を抱えているとしても、困難を自覚していないのかもしれないのであります。
長々と綴ってしまいましたが、それもかれこれ25年くらい昔の出来事です。F先生のことなど今ではどうでもよろしいのでありますが、思い出すと腹が立つことが多いもので、腹が立つとあれやこれやのことも思い出して綴りたくなってしまうものであります。でも、これ以上思い出話を展開するのは控えましょう。収拾がつかなくなりそうなので。
私がこのエピソードをここで綴るのは、私が親カウンセリングに力を入れるのはF先生に対しての報復ではないということを自分自身に言い聞かせるためであります。報復は上の文章で果たしております。親カウンセリングを成功させることでF先生を見返そうなどという気持ちを起こさないように自分を戒めるためであります。
上記の体験を意識化している限りにおいて、私は親カウンセリングとF先生への感情を混合させてしまうことはないだろうと思います。両者はしっかり区別しておかなければならない、そう肝に銘じておこうと思うのです。
そういう私個人の目的のために、私の個人的な体験を綴ったのでした。
親カウンセリングに関して言うと、ここには一つ重要な示唆があるのです。
母親たちは「ひきこもりの子は母親の育児に原因がある」などというポンコツ理論を信奉していることがけっこうあるのですが、その母親自身が親との関係が良くなかったといった経験をしていることもあるのです。自分と親との関係、それと自分と子との関係、両者は区別されなければならないのであります。私が親カウンセリングとF先生に対する感情を区別しているように、母親もそうした方がいいと私は考えています。
もちろん、これは極端な喩えでありますが、例えば不幸な親子関係を経験した母親がいるとして、子供が良好な親子関係を経験することを妬む気持ちが彼女に生まれるかもしれないのであります。自分は不幸だったのに、この子が幸福になることが許せないといった気持ちでありますが、これもまた報復の一つではないかと私は思うのです。
母親が不幸な親子関係を経験したことを否定するつもりはないのでありますが、両者を混同してしまうと問題になるのであります。子供もそうでありますが、母親自身も子供のことで苦しい思いをしてしまうのであります。
さらに、母親の親の親もまたあまり良好な親子関係を経験していないといった例もあるのです。母親からすれば、親と祖父母との関係ということであります。こうした連鎖はどこかで断ち切らなければならないと私は思うのですが、それをどうして自分の代でしなければならないのかと反感を覚える親もおられるのであります。そういう親は、例えばF先生のような臨床家をお求めになられるのだろうと私は思います。
詳しいことはまた後々取り上げていくことにするとして、本項では私の個人的体験を綴らせてもらいました。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)