<#008-1>親カウンセリングと「ひきこもり」の子
(親カウンセリング)
親が子供のことで相談に来られることがあります。親が子供のことで受けるカウンセリングを「親カウンセリング」と私は呼んでいます。このページではそうした親カウンセリングに関して、私が経験した諸々のことを述べようと思います。
親カウンセリングで来談されるのは、私の経験範囲では、9割が母親であります。父親が来談されることもないわけではありませんが、数の上では少ないのです。従って、私が親カウンセリングについて述べる事柄は、主に母親たちとの面接に基づいているものと理解していただきたく思います。
わざわざこのことを述べるのは、父親と母親とでは観点が異なることがよくあるからであります。母親が取りあげるものと、父親が取り上げるものとは相違があると思います。カウンセリングを通して目指しているものも母親と父親とでは相違があるように私は感じております。ここでは母親とのカウンセリング経験に基づいて述べるわけなので、私の述べることには偏重があるかもしれず、その点はご了承願いたく思います。
次に、親カウンセリングの場合、親が持ち込む相談ごととは子供の「ひきこもり」問題であります。養育相談とか進路相談とか、あるいは不登校とか学業不振といった問題は、まず私のところには持ち込まれないものであります。従って、ここで子供の側の問題として取り上げるテーマは「ひきこもり」になることでしょう。
以上をまとめると、私がここで展開することはすべて「ひきこもり」の子を持つ母親とのカウンセリングに基づいているということであります。
(クライアントはあくまでも母親である)
さて、親カウンセリングといっても、その他のカウンセリングとなんら特別なことはありません。ここではクライアントは母親であります。問題を抱えているのが母親の子供であるとしても、カウンセリングはこの母親のために行われるのです。クライアントは母親であり、このカウンセリングを通して母親の人生が上手くいくようになればいいのであります。親カウンセリングで、私は「ひきこもり」の子供のために仕事はしないことにしています。そのことは他の問題でも同じであります。来談しているクライアント、目の前のクライアントを援助することを私は目指します。
私はクライアントである母親を援助します。「ひきこもり」の子供のことは、話し合いがなされることもありますが、基本的に、子供は部外者であると捉えています。もともと、こうした親カウンセリングは子供抜きで行われるものであります。最初から子供のためにするのではないのです。この観点は特に強調しておきたいと思います。
このように言うと非常に冷たいように聞こえることと思います。少しだけ補足しておくと、子供をどうこうしようとし過ぎる親がけっこうおられるのであります。子供のひきこもりを終わらせようと、親があれこれと試みてきた歴史があったりするわけであります。子供のためにカウンセリングをするということは、結局、この試みの延長でしかなくなるわけであります。これまでも上手くいかなかった試みをさらに一つ付け加えるようなものであります。私にはそのように思えるのであります。
親カウンセリングは子供のためにするのではないと最初から明確に方向づけておくと、それによって救われる子供もいるのではないかとも私は思う次第であります。詳しい話は後々展開していくことになるでしょう。
(子供には伝えること)
親カウンセリングにおいて、親が最初の迷うところのものがあります。それは自分がカウンセリングを受けることを子に伝えるかどうかということであります。
私の見解では、親がカウンセリングを受けることは子供にも伝えておいた方がよいのです。下手に隠し事はしない方がよいと私は考えています。それに関しては後に詳しく述べたいと思います。
カウンセリングを受けることを子に伝える際に、親が自分のことで、自分のために受けるのであって、子供のためにするのではないということを子供に伝えておく方がいいと私は考えています。そして、子供に建前としてそう伝えたのではなく、親は実際にそれを実現するのであります。このカウンセリングを親自身のためのカウンセリングにしていくのであります。
また、子供にそれを伝えておくというのは、子供が余計な邪推をしなくてもいいようにという私なりの配慮という意味合いがあります。こういう子供の多くは(全員ではないけれど)、親の言動に敏感になっているので、予め伝えておいた方が良いと思う次第であります。これも詳しくは後に譲ることにしましょう。
(母親の願望)
ところで、「ひきこもり」の子供を持つ母親たちですが、必ずしも子供の「ひきこもり」を終わらせたいと願っているとは限らないのであります。
子供が外に出て就労してほしいという願いは、むしろ父親が望むことであるように私は思います。母親は、就労の願望を持たないわけではないのですが、それよりも家族が仲良く暮らすことを望んでいることの方が多いという印象を私は受けています。子供と良好な関係を築くようになることであり、且つ、子供と父親との関係が良くなることを願っており、子供の就労は願望としては副次的であるという母親もおられるのです。
先述のように、クライアントは母親であり、私はクライアントである母親を援助します。この母親の人生が上手くいくようになれば、子供の「ひきこもり」問題は私にとってはどうでもよいのであります。母親たちは子供と、並びに家族みんなが仲良くなればいいと欲しているのであれば、それを実現できるようになればそれでよいと私は考えています。その達成のために母親と協力していきたいと私も願うのであります。
実際、子供が「ひきこもり」から脱しても、それによって家族がバラバラになるのであれば(そういうケースもあるのです)、家族が仲良くなることを望む母親にとっては不幸なことであると私は思います。
(家族雰囲気)
もう一つ、母親の望むところのものを達成するだけでなく、母親自身が自分の人生を生きることが親カウンセリングでは目指されることになります。これは特に重要であります。
私がしばしば思うことがあります、おそらく家族の人たちもそのことに気づいていないだろうと思うのですが、「ひきこもり」の子供を持つ家族の場合、「ひきこもり」は子供だけに限らないのであります。他の家族成員も「ひきこもり」の傾向を有していることがけっこう多いように私は感じるのであります。
例えば、ある家族を見てみましょう。父親は自分の仕事にだけ熱中していて、家庭でも自室にすぐ引き下がるのです。母親は限られたごく少数の人としか交流がなく、人間関係を広げようとしてきた節が見当たらないのです。子供の一人、つまり「ひきこもり」ではない方の子供は、会社勤めはしているものの、同僚などとの付き合いがまったく見られないのです。この家族は、家族成員すべてが自分だけの狭い世界に、それぞれが孤立的に生きているように私には見えてくるのであります。全員が「ひきこもり」の傾向を有しているのであります。
上記の家族は分かりやすいのでありますが、より微妙な場合もあります。また、全員ではなく、家族のうちの一部の成員が「ひきこもり」傾向を有しているという家族もあるようです。その場合、その一部の人の影響力が大きいように思われるのであります。
私が受ける印象に過ぎないかもしれないのですが、「ひきこもり」の子供を持つ家族も「ひきこもり」傾向を有しており、「ひきこもり」が許容される雰囲気、あるいは「ひきこもり」に親和性が高い雰囲気が、子供がひきこもりを始めるよりも以前から、家庭内に生まれているのではないかと思うのです。
詳述は後に譲るとしますが、母親カウンセリングが上手くいくと、母親がこの家族雰囲気を変えていくこともけっこう見られるのであります。母親の生き方が変わることで、つまり家族の中の一人が変わることで、これまでの家族雰囲気が揺らいでいくのであります。家庭内の雰囲気とか空気に変化が持ち込まれると、それは子供にも感じとられ、吸収されていくのでしょうか、子供にも変化が見られることもあるのであります。
ただし、そうは言っても、親カウンセリングの一番の目的は親自身の生が動き始めることであり、それに伴う家族や子供の変化は副次的なものであります。あくまでもこの視点から離れてはいけない、と私は考えています。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)