<#007-9>臨床日誌~同化の原理と異質化の原理
正式な名称ではないけれど、僕が「同化の原理」もしくは「同質化の原理」と呼んでいるものがある。これは何かというと「朱に交われば赤くなる」ということである。悪い環境とか悪い人から悪いものを受け取った人は悪くなるという考え方だ。同じように、善いものを受け取るとその人は善くなるということである。
多くの分野において、その思想の根底に同質化の原理を見いだすことができるように思う。
一部の心理学者はそれを全面的に打ち出す。悪い親に育てられ、そこで悪いものを受け取る(悪い経験をする)からその人が悪い人間になったのだという理論を打ち出す。
教育学もやはり同じ原理をその根本思想に秘めている。悪い教育を受けるから悪くなるのであり、正しい教育を与えて正しい人間にしていこうという思想がある。
宗教にもやはりそれがある。悪いものにとりつかれるので悪くなるのである。悪いものを取り去り、正しい教えを与えることで正しい人間になると考えているところがある。
法律もそうではないかと思う。悪いことをした人間は正しいものを受け取り(これは処罰とか受刑など)、正しい人間になって社会復帰することを目指すというニュアンスがあるように思う。
占いなんかもそうである。悪いものを持っているから悪くなるという思想があるのだ。悪い画数の名前を持っているから悪いことが起き、悪い人間になるというわけだ。部屋の配置が悪いものを呼び込むので、それに同化して悪い人間になるというわけだ。それを正しいものにすれば、正しいものを受け取ることになり、正しい人間になるという発想が一方であるのだ。
人間は真空管の中で生きているわけではないので、どうしても周囲の状況なんかの影響を受ける。個人が外部と接点を持っている限り、人は常に外界の何かに晒されており、外界の何かを受け取ることになる。僕はそれを認める。同質化の原理は、僕はそれ自体は反対しないのだが、人間はそれだけではないと考えている。
つまり、人間はただ外界のものを受身的に取り入れるだけの存在ではなく、取り入れたものを有益な何かに創造していくことができる存在であると僕は考えている。同質化の原理がある一方で、異質化の原理も人間には備わっていると考えている。
つまり、悪いものを受け取ったとしても、それを善いものに変えていくことができると僕は考えているわけである。だから、正しいものを受け取っているにもかかわらず悪い人間になってしまう人もあれば、悪いものを受け取ってきたにもかかわらず善い人間なることもあるのだ。
人間は受動人形のような存在ではない。まず、人間には知恵がある。人間の知恵はすごいものである。毒を薬に変えてきた歴史がある。これは本当だ。毒性のある植物を加工して薬にしたりするのである。マムシを焼酎に漬けるとその中でマムシが毒を吐き、それを飲むと滋養強壮になるというのもそうだ。ムカデの毒で薬を作っていたなんて歴史もある。現代ではこんなことはなされないけれど、中世頃にはよく用いられていたそうで、血を吸う害虫のヒルに内出血している部分の血を吸わせるなんてこともやっていたのだ。害虫を有益に活用しているわけだ。いわゆる「ショック療法」なんかもそうではないかと思う。もちろん、医学的に正しいかどうかは別としてもであるが、人間はさまざまな「悪」を有益なものに変えてきたのであり、これは人間の知恵であると僕は考えている。
人間は絶望したり挫折したりという不幸な経験をしてしまう。いくらそういう経験をしたくないと欲しても、生きている限りそういう体験をしてしまうものである。その体験をどのように変えていくかは人次第ということになるだろうか。望ましくない経験をして、そこからそのまま望ましくない人間になっていくのか、それとももっと違った人間になっていくのか、その人が問われることになる。
挫折や絶望、あるいは大きな不幸や苦痛や失敗の経験といったものは、その人の人生を変えることがある。その経験があらたな生き甲斐の何かにつながっていくことも稀ではない。そうなると、その人にとって、その経験をすることは絶対に必要だったのである。
例えば、癌治療を受けた人が、その治療の苦しみから、癌患者のケアをする仕事を始めたとしよう。この人にとって、自分が癌治療を受けることは必要不可欠の体験だったのである。この人が苦しい体験から新たな生きがいを見いだした(あるいは生み出した)時、この人はその苦しい体験を別の何かに変えていっているのである。苦しい体験をしたけれど、それとは違った人間になっている(なろうとしている)のである。これが異質化の原理である。
異質化の原理で生きる人は、不幸や苦しみは自分を変えるための糧になる。だから不幸や苦しみを(もちろんそれはそのまま経験してしまうものであるが)絶望のためにも自己放棄のためにも用いないのである。毒を薬に変えていくように、苦しい経験は自己創造に変えていくのだ。
僕も今、とても苦しい。でも、僕はここから新たに自分を創造していく。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)