<#005-8>「治らない人」たちが臨床を発展させてきた
話を進めていく前に、ここで少し歴史に目を向けてみようと思います。
ヒポクラテスはすでに「心の病」を記述していました。その後、キリスト教の時代に入ると、この領域の学問は停滞することになりました。中世においては、精神病者や犯罪者たちが一まとめにして施設に収容されるようになっていました(注1)。
十八世紀末になって、収容されていた囚人たちを解放した人がフランスに現れました。ピネルという医師です。この時、囚人たちは治療の必要な人たちであり、彼らは病人であるという認識が生まれたのです。そうして現代の精神医学が誕生したのです。
しかし、初期の精神科医たちは、自分たちの仕事をする尺度をまったくと言っていいほど有していませんでした。そこで当時の精神科医たちは個々の患者の示す言動を観察し、記述し、それらを分類して疾病単位をつくるところから彼らの仕事を始めたのでした。
この作業はとても難しいものとなりました。というのは、患者の示す多種多様な現象をどのように分類するか、それにどのような病名を付すかに関して、医師たちは一致した見解を持つことができず、医師によって診断基準も疾病単位も異なるという状態が続きました。
この混乱した状況に終止符を打ったのがクレペリンでした。クレペリンは、患者の示す現象ではなく、患者の示す経緯に着目したのでした。そこで、予後の良好な一群と予後の不良な一群とを観察し、前者は躁鬱病として、後者は早発性痴呆(後に精神分裂病、現在は統合失調症)としてまとめたのでした。
私が思うに、この時点で「治る人」と「治らない人」とが観察されていたということになります。そして、両者の違いは「病気」の種類の違いとして見られていたということになります。
精神分析の分野ではどうだったでしょうか。フロイトは最初は催眠を使用していましたが、これを捨てることになり、自由連想法を開発しました。フロイト自身催眠が上手ではなかったそうですが、それ以上に、催眠にうまくかからない人や催眠を使用しても治らない人が現れたからです。つまり、従来のやり方では「治らない人」が現れたわけでありますが、フロイトはこれを自分の技法を修正することで対応したのでした。
その後、フロイトは患者の「抵抗」に着目し、これを打破する必要を説くようになります。ここには、患者が治らないのは、そこに抵抗が働いているためであるという観点が含まれています。強い抵抗があるために治らないのだという見解であります。
この抵抗の問題に真っ向から取り組んだ一人にフロイトの弟子だったライヒがいます。ライヒは抵抗とは「性格」であると考えたのです。性格という観点がここに持ち込まれたのでした。
また、ライヒの方法は抵抗分析を最初に行って、患者の抵抗を処理してから、内容分析に入るというもので、これはフロイトの方法論とは正反対の手順なのでした。フロイトの理論で言えば、患者の連想の内容分析をしていく中で抵抗が顕在化して、それが治療を阻むのであり、そこで抵抗を除去しなければならないということになります。ライヒは、そうではなく、抵抗は最初から表れているものであり、内容分析に入るよりも先にその抵抗を除去する必要を説いたわけであります。本章に即して言えば、これは治療に入る前に患者を「治る人」にしていくということに該当するものと私は考えています。
フロイトやライヒなど、当時の精神分析理論においては、「治らない人」の問題は「抵抗」や「性格」という概念を通して取り上げられていたと私は考えています。
さて、1940年ごろまでに、臨床の世界では次のような人たちが注目されるようになっていました。この人たちは、通常の治療サービスに反応せず、通常なら治療的に作用し、感謝されるようなサービスに対して怒りで応じるのでした。また、精神分析療法を開始すると、極端に退行する人たちの存在が観察されていました。この人たちは治療が難しいとみなされていました。この群に属する人たちは、後に「境界性人格障害」というカテゴリーにまとまられることになったのですが、ここでは「治らない人」に新たな疾病概念をまとめ、新たな分類を作成したことになります。
また、1940年代頃から分裂病の家族研究が盛んになります。この研究の背後には、治療の場では改善が見られたのに家族のもとに戻されると悪化してしまうという患者の存在がありました。つまり、「治らない人」たちの家族研究であり、これは言うなれば環境側からの研究ということになります。
ミルトン・エリクソンの流れを汲む臨床家たち、家族療法家や短期療法家たちは、クライアントが問題解決のために試みていることが却って問題を維持させてしまっているという逆説を提示しました。また、治るか治らないかは、治療者の技法によるだけではなく、クライアントの参加の質が影響しているという見解も打ち出しました。ここでは「治らない人」個人に焦点が当てられるようになっています。
その他、治療者が自分のやり方を信用しているか否かの影響も指摘されています(注2)。臨床家の採用する技法の種類よりも、臨床家が自分の技法をどれだけ信じているかという臨床家側の要因に光が当てられています。
また、ダンカンらは理論の逆転移と称して治療者があまりに一つの理論や見解にこだわることの弊害を指摘しています。短期療法や認知療法の一派は、ある一つの技法が上手くいかなければ、すぐに他のものを試せという鉄則を掲げています(注3)。両者は同種の見解であります。ここでは、いわば、クライアントが治るか治らないかは臨床家側の臨機応変さ、柔軟さと関係するということになります。
こうして見ていくと、「治らない人」たちが臨床の世界を豊かにし、牽引してきた事実を認めることができます。いつの時代にも「治らない人」の問題があったことが窺われるのです。
そうした「治らない人」たちに対して、疾病要因、治療者要因、環境要因、クライアント要因など多方面からアプローチされてきたことが理解できます。そのどれもが意義のある研究であったことは確かです。
本章は、上記のうちのクライアント要因に関するものであります。治療者要因、環境要因などは取り上げることはできないでしょうが、私自身はそれらを過小評価しているわけではありません。本章で取り上げることができるのは、ほんの一部分だけなのです。複数の要因のうちの一つだけを取り上げることになるのです。その視点を忘れないでいただきたく思うのであります。
(注1)この時、すでに精神病者と犯罪者とが同一視されていたことが窺われます。もし、精神病者は何をしでかすか分からないと考えている人がいれば、また、凶悪な犯罪者が精神病の既往歴を有しているのを知って「やっぱり」と納得する人がいるとすれば、その人たちは中世の認識から抜け出せていないのです。中世から何も進歩していないのです。
(注2)例えば、現在では禁止されているロボトミー手術でも、それが信用されていた頃は、それによって改善する患者さんもいたのです。
(注3)『「治療不能」事例の心理療法』(B・L・ダンカン他)金剛出版、『認知療法全技法ガイド』(R・L・リーヒィ)星和書店、その他。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)