<#005-21>感情的正当性の優位~「治る人」(4) 

 

 私は感情的正当性の優位という概念をクライアントに伝えることがあります。感情だけで判断しそうな傾向が認められるクライアントの場合、この概念を伝えてみるのです。何人かのクライアントはそれがすごくよくわかると言い、同じくらいそれがよく理解できないという人もありました。 

 それはさておくとして、それが分かると言ったクライアントたちで、感情的正当性ということを意識するように心がけた人たちもおられます。この人たちとの経験から、この概念を意識化しておくだけでも違いが生まれるものである、と私は認識を新たにしたのでした。本項では二人の母親に登場してもらうことにしましょう。 

 

 ある母親でした。娘の問題で来談されたのでした。娘さんとの関係において、この母親には感情だけで判断・評価しているところがあるように私は感じたので、感情的正当性ということを述べたのでした。この母親はそれが非常によく分かったと述べたのでした。 

 以後、彼女は娘と接する時にも自分の感情だけで判断していないかと注意するようになったのですが、数か月後、ある洞察を私に話してくれました。 

 それは、娘をはじめ自分たち家族には何ら問題がない、と彼女は信じてきたのでしたが、それがもっぱら自分の主観的な感情体験に基づいてそう判断してきたのだということでした。日常生活において、彼女自身は家庭から安心感や平和を体験していたようであり、つまり快感情体験をしてきたので、それだけで家族にはなんの問題もないと判断してきたというわけであります。自分たちは平和な家庭を築ていると信じてきたのでしたが、それは自分の感情だけのことであったと気づいたわけであります。 

 この洞察が彼女に何をもたらしたのかということでありますが、端的に述べると次のようになるのです。彼女は平和で幸せな家庭を経験してきましたが、それが「正常」なことであり、娘に精神疾患が発生したことは「異常」なことであると経験していたわけであります。彼女今の娘の状態を受け入れることができませんでした。だから、彼女は心のどこかで娘を拒否したい気持ち生まれており同時に娘を拒否してしまう自分を許せない思いがあり、それらの感情で混乱していたようでした。 

 この洞察によって、彼女の中でそれが逆転したのであります。問題のない幸せな家族であったということが「異常」なことであり、娘の精神疾患はむしろ「正常」なことであるというように認識が変わってきたのであります。そうなると、彼女は現在の娘を受け入れることができるようになっていったのであります。そこで娘との関係性に変化が生まれたのでした。 

 少し話が先走ったのでありますが、彼女はその洞察をこのように述べるのです。自分が家庭生活で幸せを体験していたからみんなも幸せだろうと判断していたけれど、それは正しくなくて、たとえ自分が幸せを経験していても、そこで立ち止まって、他のみんなも同じように幸せかどうかを見なければならなかったのだ、と。自分の感情体験だけで判断していたので、そこは見えなかったとおっしゃるのであります。私は素晴らしい洞察であると思いました。 

 

 また別の母親の例になるのですが、上述の母親と同じように、私は感情的正当性の話をしたのでした。その時、この母親が「ハッと」されたのが印象的でした。何か思い当たるところがあったのでしょう。 

 彼女は感情的正当性ということをことさら意識して日々を過ごしたようであります。やはり数か月後(これはある程度の日数を要することであります)、あることに気づいたと彼女は言います。 

 彼女は人の気持ちを大切にするということをモットーにしていました。それは家族であれ、知人などであれ、人の気持ちを大切にしようと心がけてきたのでした。そして、自分はそういうことをしてきたと自負していたのでしたが、彼女の中でそこが動揺しはじめたのであります。人の気持ちを大切にすると言っておきながら、本当は自分の気持ちだけを大切にしてきたのではなかったかと、そのように思い至ったのであります。要するに、人の気持ちを大切にして生きてきたつもりでいたけれど、それは自己欺瞞だったのではないかということであります。 

 どういう経緯で彼女がそのような洞察に至ったのか私にはよくわかりません。どこかで気が付いたのだと私は憶測しています。人の気持ちを大切にしているといっても、大切にできているかどうかは自分の主観的感情だけに基づいて判断していたのかもしれない、と思い至った瞬間があったのではないかと私は憶測しています。例えば、自分の感情とか気持ちとか、あるいは自分のモットーだけしかこの母親には見えていなかったかもしれず、自分の感情に距離を置くようになると、あらためて相手が見えるようになったのではないかと私は思うわけであります。そうすると、自分は相手の気持ちを大切にしたつもりでも、相手の様子からそうではないらしいということが見えるようになったのかもしれません。 

 この母親において一つ印象的であったのは、彼女は以心伝心ということにたいへん価値を置いておられたことでした。以心伝心で相手と通じ合うこと、それがとても素晴らしいことであると彼女は信じていたのでした。その価値も揺らいでいくことになったのです。言わずとも相手と通じ合い、理解しあえていると思っても、もしかしたらそれは自分の主観的な感情だけに基づいてそう判断していたのではなかったか、と改めて彼女は自身に問うようになったのでした。 

 もう一つ踏み込んで彼女は対人関係において、相手との間で快感情体験をしている時には以心伝心成立していると感じ不快感情体験をしている時は以心伝心上手くいかなかったというように評価していたのかもしれない、そのようにも思うようでした。 

 そういう洞察を得て彼女はどういうことをしたのかということですが、彼女は子供のことに関して一つ一つこまめに子供に問うようになったのでした。子供はいちいち問われることが煩雑であったようですが、それも当然でありました。彼女は今までやってこなかったことをするようになったのですが、最初は上手くいかないものであります。ついつい踏み込み過ぎたり、執拗になったりすることもあったようでした。 

 やがて、子供との間で適切な距離感のようなものがつかめてきたのでしょうか、彼女は大切なことだけを問うようにし、踏み込み過ぎていると感じたら自分から距離を置くようなこともするようになり、時には自分の方から折れるということもするようになったのでした。ここにも彼女は自分の感情体験だけに基づいて判断しなくなっていることが窺われるのであります。 

 紆余曲折を経ながら徐々に子供との関係良好になっていったので、彼女はこのカウンセリングを終結したのでした。 

 

 以上感情的正当性の優位という概念を認識しているだけでもクライアントに違いが生まれるということを、二人の母親のケースを通して見てきました。 

 感情的正当性の優位に関してはまだまだ述べ足りないところもあるのですが、私たちは次のテーマへと移っていくことにします。今後、このテーマの補足とか補遺として記述する機会もあると思いますので、とりあえずはここで締めくくって、私たちは先へ進むことにしましょう。 

 

文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

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