<#004-17>見立てと予測(4)~面接申込用紙
電話での受け答え、来談時の様子、服装や身なり、これらはすべてその人のパーソナリティが反映されているものであり、様々な形で「その人らしさ」が表れるものであります。そして、それらはすべてその人を理解する上で役に立つものであり、見立てや予測にも活用できるものであります。
前項では面接室に入るまでのところを述べました。入室時にも人によってさまざまな振る舞いが見られるのでありますが、少しだけ話を端折りましょう。
(面接申込用紙)
面接開始に先立って、クライアントは「面接申込用紙」に記入していただきます。B5用紙一枚なのですが、記入していただくのはその一部分のみであります。私の方から「この部分だけ記入してください」というように指示しています。
大部分の人は私の教示に従ってくれます。つまり指定された範囲の項目を記入されるのです。でも、たまにそれ以上の項目にまで記入する人もおられます。私の教示が聞こえなかったのか理解できなかったのか、あるいは教示を無視したのか、これ自体では決定的なことは言えないのであります。こういう人の中には、例えば、自分優位で考える傾向のある人(つまり自分のルールを優先するなど)といった人もあれば、集中力を欠き、不注意によるミスを繰り返してしまう人などもおられました。これらの例からも、教示以上に記入する行為はその人の抱える問題やパーソナリティ傾向と関連することが窺われ、一つの情報源となるのであります。
次に多いのは、教示された項目のすべてを記入しない例であります。記入していただくのは、氏名、年齢、性別、住所、連絡先の5項目なのですが、どれか一つないしは複数個の項目を無記入で提出されるのです。まず、数の問題から見てみましょう。
5項目中、どれか1項目だけ無記入であるとすれば、そこにはその人なりの理由があるでしょう。これが氏名以外の4項目無記入といった例では、抵抗感がかなり強いという印象を受けます。もし、その人が非常に緊張していたり、硬直しているような感じであれば、この無記入はその人の症状の表れとみなしてもよいように私は思います。一方で、ダルそうであったり、やる気のなさそうな感じであれば、これも症状の一つとみなせるのでしょうが、むしろ抵抗感の現れである可能性が高いように私は思います。
ほとんど書かないという例よりも、どれか一つだけを記入しないという例の方が多く、住所や連絡先を無記入にする例がけっこう見られるように思います。このような場合、一応、理由を尋ねてみます。「知られたくない」という内容の答えが返ってくるのが通例であります。住所は「どの辺りから来られているのかを調べているだけです」(これは実際そうである)と、連絡先は「今後こちらから連絡することがあった場合にどうしても必要になる」と、それぞれ私の方からそれらの情報を知る理由を伝えてみます。そこで記入してくれる例もあれば、それでも記入を拒否する例もあります。拒否するのであれば、私もそれ以上は追求しないのでありますが、その人のこれらの反応は私の中で強く印象付けられることになります。というのも、それらが私に対する不信感の表明とも考えられるので、もしそうであれば、その感情は後々のカウンセリングに影響するからであります。
私にある程度の信頼を寄せ、またその人も自分自身の信頼度や安全感がそれなりに高い場合、これらの項目に躊躇なく記入するように思われます。一方で、言われたことをその通りにこなすという、いわば主体性を喪失しているような人の場合もあります。こういう人も、この範囲の項目に記入してくださいと頼めばその通りにしてくれるので、なかなか区別がつかないこともあります。でも、人の言いなりに動くような人、主導権をすべて相手に譲り渡しているといった感じの人は、それ以前の段階(つまり電話、来談時の様子など)ですでにその傾向を示していることも多く、一連の流れの中で眺望すると区別がつくこともけっこうあるように私は感じています。
あと、あまり情報としては有益とは思わないのですが、その人の書字も私は参照します。つまり、記入された文字が、力強い感じか弱々しい感じか、文字が大きく書かれているか小さく書かれているか、文字が安定しているか不安定な感じ(つまり震える手で書いたなど)か、等々であります。一応、そういうことも見るのですが、私個人は筆跡による性格判断のようなものに信頼性を置いていないし、その人の普段の書字を知らないと比較できないとも思うのであります。ただ、書字に関しては、不安や緊張の度合いが現れていることがけっこうあると思うので、それを評価しています。
また、大部分の人は静かに記入されるものでありますが、中にはやたらと喋る人もあります。一つ一つの項目について、「ここはこうでいいですか」と書いては確認を求めてきたり、「住所は今住んでいるところでいいですか」などと質問してきたりする人もおられるのです。こういう人は、しばしば、何をするにも同伴者を求めるような傾向がある(つまり、自分一人でするには自分があまりにも当てにならないように体験されている)という印象を私は受けています。「面接申込用紙」に記入するのでも、一人でできず、誰かと一緒にやりたがる感じであります。
さらには一つ記入してはお喋りをし、また一つ記入してはお喋り(世間話のような内容のことを喋るのです)をするといった人も何人かおられました。集中力が低下していて、意志の転導性が高い(つまり、注意が他に逸れやすい)感じの人もあれば、沈黙の場面に耐えられないといった感じの人もありました。前者の場合であれば、カウンセリングで一つのことについて話し合うのが困難になるだろうという予測が成り立つのです。後者の場合であれば、おそらくこの人はひっきりなしに喋り続けるだろうという予測が成り立つわけであります。前者の場合、少しずつ一つの話題に留まることができるようにしていこうというアプローチをとることができ、後者の場合、少しずつ会話に「間」をもたせようというアプローチを採択するでしょう。
あと、記入している時の姿勢も人さまざまな違いが見られるものであります。用紙を挟んでいるバインダーを片手に持って記入する人もあれば、バインダーを小卓に置いて背を屈めて書く人もあります。前者の場合でも、普通に手に持っている人もあれば、覗かれたくないという感じで体の内側に抱え込むように持つ人もあります。
そして、記入し終えると、私に手渡す人もあれば、そのまま小卓の上に置いたままにする人もあります。前者の場合でも、「記入しました」と一声を添える人もあれば、無言で差し出す人もありますし、「これでいいですか」と確認を求めるような感じで差し出す人もあります。後者の場合でも、私の方から「書けましたか」と問われてから差し出す人もあれば、それでも卓上に置いたままにする人もあります。
これらの一つ一つがその人を理解する「情報」となり得るのであります。記入した用紙を手渡すか卓上に置くか、どっちでもいいではないかと思われる方もおられるでしょうけれど、これはその人の中での「他者の存在感」の程度(あるいはその人の関係性の程度)を示していることもけっこうあるように私は思うのであります。つまり、相手(この場面では私)の存在を意識していると手渡す行為が見られ、相手の存在感が意識されない場合では卓上に置かれたままになるだろうということであります。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)