<#004-16>見立てと予測(3)~最初の接点
アセスメントは見立てにも予測にもともに有効でありますが、前項に記した理由で、私はそれをしないことにしました。その代わり、クライアントをよく見て、クライアントが示す諸現象に基づいて見立てと予測を立てるようになりました。それが実際にどういうことなのか、いくつかの場面を取り上げようと思います。
(電話)
まず、どの人も最初は電話で連絡を取ってきます。この電話の段階で既にクライアントに関する多くのことが窺われるのであります。
カウンセリング機関に電話をかけるというのは確かに緊張もするでしょうし、不安の強い状態で電話をかける人も少なからずおられることでしょう。それでも過度に緊張しているようであったり、極度に不安そうな人もおられるのです。そういう人は、案の定と言いますか、不安や緊張に関する問題を持ち込むことが多く、特に対人緊張のような訴えをされる方も多いのであります。
それとは逆に、過剰に勢いのある感じの人もあります。語調は強く、どこか挑戦的な印象を受けることもあります。時にケンカ腰の人もおられるのですが、これらはその人のパーソナリティを表していると同時に、その人の置かれている状況(例えば非常に切羽詰まってるなど)を窺わせるところがあります。
電話に関して、もっとも重要な点は、その人の社会性の程度が窺われるところであります。どこがどうというのもなかなか指摘できないのでありますが、社会経験の乏しい人の電話というのはなんとなく分かるのであります。
病態水準に関しても推測できることがあります。電話による問い合わせの枠を超えて話をする人であったり、いきなり問題を話したりする人などは、どこか抑制が効かないところがあるように私には感じられ、人格障害水準に近い人であることが窺われるのであります。
また、ほとんど無言の電話もあるのです。例えば、挨拶とか前置きもなく、いきなり「○○障害です。どうしたらいい?」とだけしか言わない例などもけっこうあるのですが、こういうのは精神病水準であるように思われるのであります。つまり、それだけ自我機能が衰弱していると思われるのであります。
電話だけでも、その人のパーソナリティが表出されているものであり、その人に関する情報をもたらしてくれるものであります。
(初見)
次に、実際に面接室まで足を運んでくれた場合、最初の初見時でもクライアントはさまざまな行動をするものであります。
ドアをノックする人もあれば、いきなりドアを開ける人もあります。ノック無しにドアを開ける場合でも、勢いよく開ける人もあれば、おずおずと開ける人もあり、開けてすぐに室内に入る人もあれば、覗き込むように顔だけ入れる人もあります。ノックする場合でも、力強くノックする人もあれば、弱々しい感じ、控え目な感じでノックする人もあります。こういったこともすべてその人を理解する手がかりになるものであります。
上記の話を少しだけ補足すると、ノック無しにいきなり入り込んでくる人は、やはりどこか図々しいところがあったりするものです。毎回、ノックもなしにいきなりドアを開けて入室したある男性は人間関係が上手くいかないと訴えていましたが、それは他人の都合を彼が無視するところに起因していたのでした。
また、ノックがあって私がドアを開けた時、ドアの前で直立している人もあれば(つまり、緊張して硬直している感じ)、自然な感じで佇んでいる人もあり(適度にリラックスしている感じ)、ドアからかなり距離を置いて立っている人もあります。ドアの開く側に立っている人もあれば、その反対側(つまり蝶番側)に立っている人もあります。挨拶やお辞儀をする人もあれば、何もない人もあります。これらもすべてその人のパーソナリティを示すサインのようなものであり、私にとってはその人を理解するための情報になるのであります。そして、これらは私に対しての距離の取り方を示していることもあり、どのようなカウンセリングになるのかについての予測に役立つ例もあるのです。
また、電話のときと同様に、これらがその人の社会性の程度を示している場合もけっこうあるのです。ノックをするとか、挨拶をするとか、それらが欠落して入室するという人は、どこか社会経験が乏しいところがあるようであります。電話の際の情報と重なると、その見立てにかなり確信が持てるのであります。
(身なり)
服装とか身だしなみ、持ち物なども情報になります。服装とか身なりとか、ある程度行き届いていればそれでいいのですが、だらしない感じの人もあります。身なりがだらしないとか、不潔そうというのは、その人の注意がそこまで行き届いていないわけであり、日常生活にかなり支障を来している人であることも少なくないのであります。
「うつ病」と診断された人は、身なりまで整える気力が失せていることもけっこう見られるのですが、必ずしも「だらしない」という印象は受けないのであります。私がお会いした人の一人は、その人なりの外行きの服装があって、外に出るときはいつもそれを着るという感じでありました。だから、身なりは普通なのですが、今日はどれを着ようかなどと、服を選ぶのが億劫だったのでしょう。毎回、同じ服装で現れたのでした。
身なりがだらしないとか、汚い感じであるのは、「うつ病」よりも、「分裂病(統合失調症)」系の人に見られることが多いと私は感じています。私がお会いした範囲では、「うつ病」の診断を受けた人には「見られる自己」の感覚が保有されていたのだと思います。「分裂病」系の人(あくまでも私がお会いした範囲でのことですが)では、「見られる自己」が貧弱になっていたのだと思うのであります。
また、私は実際にこういう人とお会いしたことはないのですが、限りなく不潔な人がいるとすれば、その人を「潔癖症」と私は見立てるでしょう。「潔癖症」の人がそこまで不潔にするなんて信じられないと思うかもしれませんが、実際にあることなのです。つまり、風呂場や洗濯機が雑菌だらけに思われて使用できなくなるのであります。
その他、持ち物やアクセサリーなども注意して見るといろいろ考えることができるものであります。大抵の人はカバンの一つくらい持っているものです。仕事帰りのクライアントなら通勤に使用しているカバンを持っているものです。また、買い物をしてから来たという場合ならレジ袋を持って入るクライアントもいます。それはそれで構わないのであり、要は「不自然」な感じがなければよいのであります。カバンがブランドものであろうとバーゲン品であろうと、それ自体は(それも情報と言えば言えるのですが)どうでもいいことであります。
持ち物に関して、とても大きなショルダーバッグを持った女性クライアントを私は思い出します。どうしてそんなに大きなバッグを持つ必要があるのでしょう。中には大してものが入っていないようで、カバンは平であります。もっと小さなバッグでも充分だったでしょう。でも、彼女はその大きなバッグを肩から下げ、体の正面に来るように持つのです。私にはそれが「盾」を構えているように見えたのを覚えています。実際、彼女の話すことの本質といいますか中核にあるのは、彼女がどれだけ「守り」を必要としているかということであったのです。カバン一つとっても、その人に関する情報を与えてくれるものであります。
こうした例はいくらでも挙げることができるのですが、これくらいにしておきたいと思います。クライアントを理解するための情報はいたるところから得られるのであって、そうした情報は見立てと予測のために有益であることが多いわけであります。
(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)