<#004-9>カウンセリングにおける点と線(2) 

 

(時間的継起の線) 

 前項では二人の女性の京都旅行という架空のエピソードを取り上げました。エピソード自体はどんなものでもよかったのでありますが、一連の体験には点となる部分と線となる部分とがあるということを述べたかったのでした。点となる体験が後に語られるようになるということでした。 

 このエピソードの点と線は「時間的系列」によるものでした。点Aと点Bをつなぐ線は、両点の時間的継起、時間的因果性でありました。この種の線が明確になると、点Aから点Bへ、さらには点Bから点Cへといったプロセスがしっかりと見えるようになると私は思います。そうしてより大きなまとまりを形成していくことになります。喩えで言えば、清水寺へ行ったこと、嵐山へ行ったこと、といった個別の体験だけでなく、その間にある線エピソードが充実してくると、それらは個々別々の体験ではなくなり、京都旅行という大きな括りのまとまった体験となっていくというわけであります。 

 

(本質的・象徴的な線) 

 さて、時間的経緯とは別種の線があります。それは時間に縛られないものであります。時空間を超えたものであります。もっと本質的・象徴的な線であります。 

 こちらも何か例になるものがないかと探していると、ちょうどいい具合にある報道に接しました。ワイドショーで見たもので、NHKアナウンサーが不祥事を起こしたというニュースでした。このアナウンサー個人ではなく、この人が示した行動だけを例として取り上げることにします。 

 このアナウンサーはスポーツの実況中継で有名であり、かなり優秀な人だったのでしょう。 

 この人が、まず、(A)それまで彼が独占していたスポーツの実況中継の仕事を降板されたこと、があります。 

 次に(B)この人が女性のマンションに不法侵入したという事件を起こしました。 

 最後に(C)この人はマンションから飛び降りたという自殺様の行動をしました。 

 このABCに共通しているものはなにか、この三者が共有しているものは何か、ということであります。ギリシャ哲学風に言えば、三者が分有しているイデアはなにかということになるでしょうか。 

 直接的には三者の間に共通性が認められないかと思います。ここでいう共通項は、目に見えないもの、本質であったり、概念であったり、象徴であったり、そういうものであります。 

 では、上述の三つのエピソードに共通していると思われるものは何でしょうか。少し考えるといくつも出てくると思います。 

 例えば、「他者の侵害性」ということは言えないでしょうか。スポーツ中継の仕事は彼が独占することで他者にその権利が行き届かないことになるでしょう。女性のマンションに侵入することも他者の居住権利またはプライバシーの侵害ということになるでしょう。マンションから飛び降りるということも、他者の地所でそのような行為をしたわけなので、やはり他者に対しての侵害行為となるかもしれません。 

 その他にもさまざまに考えられることでしょう。私がこのニュースに接した時には「落下」とか「転落」など「落ちる」に関する観念が共通項とした感じられました。そうした共通項を見出すこともできるかもしれません。 

 いくつもの共通項を挙げることもできるのでありますが、ここでは話を広げないようにしたいと思います。こうした共通項が「線」となるわけであります。ただし、この線は、前項で述べたような時間的経緯による線とは異なり、あくまでも観念であり、確証することが困難なものであります。 

 さらに、一つの線を見出したとしても、それはあくまでも仮説であります。上述のアナウンサーの例では、各々のエピソードの背後に「他者の侵害性」という共通項を私が仮定しているのであって、そういうものがその人個人に備わっているという確証は得られないわけであります。 

 この仮説はすべて作業仮設みたいなものであります。こういう一連のエピソードがあり、そこに「他者の侵害性」という共通項を仮定してみて、その上でどういうことが考えられるのかという作業をしていくことになります。従って、この共通項は、何かの解答ではなく、それに基づいてさらに考えていくところの土台にあるものであります。 

 例えば、この人の一連の行動エピソードに「他者の侵害性」という共通項が考えられるとすると、この人は他者に対してはかなりサディスティックな傾向を持っているかもしれない、それを反動形成の機制でもって表には出さないようにしてきたのかもしれない、などと考えていくこともできるわけであります。 

 

(二種の線について) 

 さて、点と線の関係性には二種のものがあるということになります。 

 一つは点Aと点Bは線abによって、点Bと点Cは線bcによってつながるものであります。これは前項で述べたものであり、時間的な継起が線となるものであります。 

 もう一つは、点A、B、Cはそれぞれ本質概念xでつながっているという様式であります。こちらが本項で述べているものであり、本質的・象徴的な観念が線となるものであります。 

 前者の点と線が明確になると、一連のプロセスがまとまりをもつようになり、そこからさらに大きな点を形成することができ、さらに大きな点どうしが線で結びつくことによって、連続性の観念がしっかりしてくるようになると私は考えています。 

 後者の点と線がつながっていくと、内面において凝集されていく感じ、まとまっていく感じが経験されると私は考えています。バラバラだったものがつながり、一つの集合を形成し、そのような集合体が点となり、その他の集合体とさらに線で結びついていくとすれば、その人の自己が統合されていくであろうと私は考えています。 

 

(探求型の心理療法) 

 ところで、点として語られるエピソードを、時間的継起であれ、象徴的観念であれ、点と点を線で結合するという営みは探求型の心理療法に見られるものであると私は考えています。 

 フロイトの精神分析は自由連想という形でそれを行っていると言えなくもないと私は考えています。ユングのいう拡充法も線をつけていく作業とみなすことができ、点と点が線で結合されることで心的布置(コンステレーション)が形成されると考えることもできると思います。 

 私は点と線の比喩を用いて述べているのですが、述べられていることはなんら目新しいものではないのであります。 

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

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