<#1-12>用意するものはないということ

 

 クライアントは予約を取る際に、「何か準備するものはありますか」などと質問することがあります。私の答えは、何も準備はいらないということであり、当日、予約したその時間にお越しいただければそれで良いというものです。料金の支払いがあるので、準備物といえば面接料くらいなものであります。

 

 一時期、「音読クライアント」(と私が勝手に命名している)がよく来られたものでした。これは事前に自分自身のことや問題などを書いてきて、面接の場でそれを読んで聞かせるか、私に読むように求める(後者の方が病理が深い)などであります。これをされることは本当に私にとってバカらしいのであります。クライアントの書いてきたものを読まされる時はまあまあな自己嫌悪に陥るのであります。

 書いてきたものは、たとえあそれがどれほど詳細を極めていたとしても、全く役に立たないものであります。書いてある情報はクライアントの話に繰り返し出てくるものばかりであります。そして、書かれたことではなく、書かれていないことの方が重要なのであります。

 従って、音読クライアントは自己制限的な人が多いという印象を受けています。意識化されているものだけでやっていこうということであり、そこを拡張していこうという姿勢が乏しいという印象を私は受けています。

 私の印象はともかくとして、音読クライアントのように、完全に準備してカウンセリングに臨むのは、自分が動揺しないための方策であることも多いようであります。つまり、カウンセリングの当日において、自分の心ができるだけ動かないようにしたいという気持ちがあるように思われるのであります。

 ところが、クライアントの心の中で何かが動き、何かが生まれないと、そのカウンセリングは意味がなくなるのです。従って、音読クライアントは確実にカウンセリングから利益を得ることのない人たちであると私は考えています。

 

 音読クライアントまでいかなくとも、大部分のクライアントはカウンセリングで何を話そうかなどとアタマの中で考えるものだと思います。個人的には行き当たりばったりで受けても構わないとも思うのですが、それも難しいので、どうしても考えてしまうのでしょう。

 「当日予約不可」のところでも少し触れたのですが、予約を取ってから面接までの間にクライアントの中で動くものなどがあるのです。何の準備もせずに当日まで待つということも難しいことであるかもしれません。どうしてもカウンセリングのことが意識されてしまうこともあるでしょう。

 予約を取ってから面接当日までの期間をどう過ごすかということはクライアントの自由ではあります。準備をしようと構わないのでありますが、その準備をそのままカウンセリングに持ち込むと動くものも動かないということになるように私は思う次第であります。そのように考えると、音読クライアントは予約を取ってから面接までの期間に激しく動揺されている人たちであるかもしれません。

 

 予約を取った時点ですでに動き始めるものがその人に生まれるのであります。それはそれで大切な動きであります。

 そして、カウンセリングでは、クライアントの中で何かが動き始めること、新しい何かが始まることが肝心であると私は考えています。準備した場合、それも入念な準備をした場合、その人の中では何も動き出さないか、馴染みのあるものが今まで通りに動くだけであるような気がするのであります。

 カウンセリングでは準備物は不要であります。予約を取って、当日、その時間に面接室まで足を運んでくださればけっこうであります。

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

 

 

 

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